ナッツ・リターン 自分満足が引き起こした悲劇に判決

「あんた、ナッツじゃないの!?」

と英語で言えば、「頭がおかしい」「ばかげている」という意味だ。由来不明だが、木の実が小さく硬いところから、「こり固まったバカ」といったイメージによるのかもしれない。

そういう含意で名付けられた「ナッツ・リターン事件」はだいぶ前のことだが、記憶されているだろうか。このたび(2017年12月)韓国の最高裁で結審し、大韓航空の副社長だったチョ・ヒョナ被告は懲役10カ月の執行猶予付き有罪が確定した。

■ナッツ・リターンとは

2014年12月、チョ副社長は大韓航空機にファーストクラス乗客として搭乗していた。

客室乗務員が提供したマカダミアナッツが皿に盛りつけられておらず、袋のままだったことに激怒し、チーフパーサーを飛行機から降ろすことを要求。地上走行中だった同機の進路を変更させ、運行が遅延した。

このため航空保安法違反等に問われ、一審では懲役1年の実刑判決が言い渡されていた。

■発端はささいなできごと、なのか

会社側の対応も悪かった。ナッツ姫ことチョ副社長をかばうため証拠隠滅や関係者の懐柔を図り、社内から逮捕者も出た。

報道ではしばしば「ナッツの出し方という実にささいなできごと」とされて発端部分がスルーされる。その後の会社側の対応にからめて「危機管理の甘さ」や「財閥一族の傲慢」に論を進めることが多かった。

もちろんそれらも大切なのだが、当サイトではそうしなくて、「ナッツの出し方というささいなできごと」に着目する。

「この私に対して、皿に盛りつけるどころか、袋の封も切らずにナッツを差し出すとは!」といった感情であったろう。それは怒りを脇に置けば、事実としてCS(顧客満足)に関する気づきだったはずだ。

飲食物は食べやすい状態で提供したほうが乗客にとって快適だ。袋のままよりも、最初から盛り付けてあったほうが気分がいいに決まっている。

乗務員の手間というコストを考え合わせると、ファーストクラスとエコノミーではやり方が違っていてもいい。サービスのレベルで料金を変えているのだから、当然のことだ。

だいいちセレブは、樹脂の袋を小器用に破って中身をこぼさずに取り出すような能力が退化しているのが普通だ。(電気ドリルとグル―ガンを人生の友とする森泉さんは別だろうが。)

■怒る前にやることがある

チョ氏は怒り狂うかわりに、こんなふうに対応してもよかった。
ふとした気づきによって、旅行後にさっそく顧客満足の担当役員を呼び出して質問する。

・この客室乗務員の行為はマニュアルどおりだったのか。(後の報道によると、そのとおりらしい。)

・そうだとすると、このマニュアルの定めに再考の余地はないのか。

・ナッツに限らず、顧客満足に関する仕組みの整備に問題はなかったか。

・多少のうっかりやマニュアル不備があっても、顧客に尽くす思いがあれば満足は得られるはず。そのへんのマインド醸成はどうなっているか。

機会を捉えてこうしたやりとりを続けることで、業務の改善が進み、事業も安泰になる。ネタはナッツのかけらと同じぐらい、日常にころがっている。ナッツ姫は、そのささいなチャンスを逃した。

それだけではない。複数の客室乗務員に深い心の傷を負わせ、飛行機運行の遅延という、大きな《顧客不満足》を引き起こす結果になった。もともと顧客満足よりも自分満足だけが視野にあったのかもしれない。

こり固まった木の実のような自分第一主義が引き起こした悲劇。
ナッツ・リターンという言葉は「改善のチャンスを目の前にしながら、基本姿勢が悪いためにそれが見えず、顧客不満足と従業員不満足を起こし、評判まで悪くしてしまうこと」として心に刻まれた。

すべての当事者の更生を願う。

(天生臨平)

あけみくんの宝箱08-困った二人

業績を上げろと部員を締め上げる技術部長。そして技術部にはもうひとり、困った人がいるという。

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■08-困った二人

「まずは大久保さんの話だ」越谷が続ける。

技術部長の大久保は生え抜きの技術部員だ。半年前、先代の社長の時代に部長に抜擢されたが、たいして技術的な実績のない大久保がなぜ部長? というひそかな声があがっていた。

「なんでも業績ばかり追いかけて、ライバルのことも気にして、それで現場を混乱させた。そうだな川口くん」

「ええ。決算の2週間前に、『もっと数字がよくならないのか』とか言いだすんです。開発や製造で巻き返すことなんて不可能な時期にですよ」

「それは粉飾決算しろということだぞ」

「さすがに技術部ではそんな数値操作はできないとつっぱねましたが。もちろん経理部でも、です」

◆大物登場

「そんなことがあったのか…。それでもうひとり、違う形で困った人とは?」

「はい。ほかでもない製作本部長です」
川口は、ちょっと思いつめた表情で訴えた。

「おいおい、大久保部長も、その上の高円寺本部長も、両方問題ありってことか」

製作本部長は技術部、製造部、品質管理部の三部を統括する。半年ほど前、これも先代社長の政権末期に就任した高円寺は、一部上場メーカーの管理畑からの転籍者だ。

目黒は半年前、つまり高円寺が当社にやってきたころに技術部から製造部に移った。いずれにしても高円寺は上司筋に当たるのだが、ルーティンワークの多い製造部ではあまりその影響力が及ぶことはなく、彼がどんな人物なのかもよく知らなかった。

「で、高円寺さんがなんだって」

「仕事をさせてくれないんです」

「え?」

そこへ川口の携帯で着信音が鳴った。

「うん、いま監査部だ。…あ、船橋さん、すこしこっちへ来ないか」

◆仕事をさせない上司

ノックの音がして、扉の間から若い女性の顔がのぞいた。

技術スタッフ用のグレイのジャケットに、自前のものらしい濃紅色のリボンと白いブラウスをのぞかせている。知的な顔立ちに、力強い視線が印象的だ。その目元がやわらかい弓形に変わり、笑みがこぼれた。

「こんにちは、船橋理央です」
玉川あけみとは顔見知りらしく、さかんにアイコンタクトを送りあっている。

「船橋さん、さっそくだけどきみたちのボツ企画について話してくれないか」
川口が切り出す。

なんとなく話の内容を察したのか、あらたまった顔の越谷が注釈を入れる。
「船橋さん、でしたな。わたしたちには守秘義務があります。調査権も、閲覧権も聴聞権もある」
すこし棒読み口調だし、聞いただけではなんの話かよくわからない。
「だからなんでも包み隠さず、話してみてください」

船橋理央は、会釈すると話し始めた。

◆企画が通らない

「当社が企画優位の会社だということはみなさんご存じでしょう」

当社、すなわち千堂工学には消費者向けの商品がない。業務用の機器や機能部品、それに少量生産の高機能素材を作っている、いわゆるBtoBのメーカーだ。大発明というわけではないが、あまり市場になかった種類の製品を企画し、すばやく製品化して供給することを得意としている。

「3つの開発チームがあって、競い合うようにして企画を打ち出していました。合同の飲み会をよく開くような、いいライバル関係なんですよ。それはいまでも続いています。だけど…」

船橋はすこし顔を曇らせて息をついだ。

「企画が通らなくなったんです。『各社のノズルを他社のベースボードに固定できるポリカーボネート台座』はだめ。『エンベッド用の超小型熱交換部品』もだめ。『多重ピッチの部品実装ができる汎用アセンブリ基板』もだめ」

◆いくら儲かるんだ

上野の目が宙を泳いだ。営業として自分が担当した製品ならわかるが、まだ企画段階のものについてはイメージしにくいらしい。

越谷もほとんど労務や総務で過ごしてきて、いまの話が理解できるとは思われないが、そこは年の功か、落ち着きはらっている。
「なぜその、企画が通らなくなったのだろうか」

「企画が上がっていって、本部長のところまでいくと、そこでつぶれるんです。『製品はいつできあがるのか。企画どおりに売れるのか。いくら儲かるんだ。欠陥品でクレームがついたりしないだろうな』などと言って」

川口がつけ加える。「本部長の企画承認を取ったら、技術的な検証もするし、マーケティング調査もします。だけどその前に、『準備が足りていないようだな』みたいな話になってダメが出るんです」

「しかたがないので検証に着手してから持っていくようにしたんですが、それでもいろんな理由をつけてダメ。たとえば『もっと儲かる話を持ってこい』とか『こいつはクレームがこわいな』とか」

◆オレに責任が来る

「そのクレームの話がまた、たいへんで」川口が引き継ぐ。
「目黒さんも安全第一ですが、それとは違うんです。高円寺さんの言い方は『こいつが事故でも起こしてみろ。会社の評判は悪くなるし、賠償金や訴訟費用がかかるし、結局のところ責任がオレに来ちゃうんだよ』になってしまう。

目黒さんみたいに『最終消費者のお客さまがケガしたところを想像してみろ』のようなことは言わない。『オレに責任が来るんだ』ばかりで、お客さまのことが眼に入っていないみたいです」

「アウトオブ眼中、ってやつか」と上野。

「おかしいでしょう、こんなことって。わたしも川口さんも、ものづくりが好きで、それを長いあいだ勉強して、会社に入ったんです。でもなにも作らせてもらえない」

◆つるつるの壁

目黒は、社歴のほとんどを過ごしてきた製品開発の現場を、まさに昨日のことのように思い起こしていた。

つるつるの壁をよじ登るような苦しさで、なにもないところから課題を見つけ出す。解決策を構想する。具体的なモノが形づくられていく。試作品が思ったとおりに動いたときの喜び。

テストマーケティングで顧客に見せて、こっぴどく叩かれる。チームの知恵を集めて工夫する。そうして仕上がったモノを製造にかけ、出荷するときの喜び。

エンジニアが味わったそんな苦楽を背に、製品は世に出て役に立つ。会社も潤う。それが支えでこれまでやってきた。

そんな過程が、途中で断ち切られたらどうだろう。苦労だけが残ってなにも報われなかったら、どんな気持ちになるか。断ち切るのに正当な理由があれば文句はないのだが。

「越谷さん、これは大問題のようですね」
冷静を売りにしているはずが、すこし声がかすれた。

(天生臨平)

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あけみくんの宝箱07-どこにも載っていない道

ぼや騒ぎは一段落した。だが原因解明はこれからだ。監査部のメンバーは職場に戻る。内部監査の実行に向けた、期待と迷いを胸に。

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■07-どこにも載っていない道

西日に薄い雲がかかり、空気が冷えてきた。すこし開いたガラス窓からメジロの軽い鳴き声が聞こえてくる。

越谷に本社から電話連絡が来た。事故の原因や再発防止について、技術部を中心とした委員会を作って調査に入るそうだ。監査部はたまたま早く現場に着いたという縁があるので、見聞した情報の提供などをしながら様子を見守ることになった。

「世が世なら監査部も調査委員会の中心メンバーになっていたかもしれないな。だがなにしろまだ温めている最中で、孵化もしていない監査部なんだから」は越谷の弁。

「さあそれじゃ、内部監査の組み立てを続けよう…
とはいえ、もうだいぶまとまったような気がする。内部監査の定義、チェックリスト、リスクとリスクアプローチ、不正不祥事の防止。
どうだ。そろそろ具体的な段取りを決めて、監査にとりかかるとするか」
越谷は管理職らしく、仕事を次のステージに持ち込む意向を示した。

「そうですよねー、これ以上やっても煮詰まってくるだけだし」
上野が賛同した。

「よしそれじゃ、いまの会社のリスクや不正不祥事の可能性についてまとめよう。そのあとでチェックリスト作成だ。まず目黒くんはリスクを…」

目黒はなにか引っかかるものを感じた。このまま監査に突入するのがいいのかどうか、あいまいな気持ちのままで言葉を探そうとしていたとき、玉川あけみが口を開いた。

「すこし待ってください。なにかが足りない気がします」

なにかが足りない?
一同、玉川のほうに向きなおる。

◆道がつながらない

「内部監査の定義は大きい話ですが、そのあとのチェックリストから先は急に、具体的な手法の話になります。このふたつが、うまくつながっていないように思います。

越谷部長が社長から聞いてきたことがありますよね。《業務の適正》という言葉や、短期利益にこだわった部長の話。内部監査で《会社をよくする》という目的のこと。

あのお話のときは、なにか期待に胸がふくらむ感じがしていました。《誠実な営業》や《顧客満足》。そして内部監査の定義のところでは《経営目標の達成》でしょう。わたしたちの働きが、直接に会社をよくすることができるかもしれない、そんな期待です。

こういったものは、いままでまとめた監査の段取りの話には結びついていません。これをなんとかつなげないと、社長の意図から外れたことをしてしまうのではないでしょうか」

こんな話をするときいつも、玉川あけみはまるで友達とショッピングに行って、このオフホワイトのジャケットいいよね、でも、かすかに藤色がかっていればもっといいかも、というときみたいな、なにか楽しげな話しぶりをする。これでぼくたちのチームの雰囲気、ずいぶん助かっているんだろうな、と目黒は思った。

「うーんそうか。不正をなくすというのも会社をよくすることだが、それだけじゃないしな」

「それに、与えられた1カ月という準備期間がやはり気になります。いままだ5日間しかたっていません。もっと考えなさい、社長はそうおっしゃっているような気がします」

越谷は、深く腕組みをしていた手をほどいて言った。「そうだな。もうすこし整理してみるか」

◆手づくりの領域へ

「気になっていたんですが」と目黒。「内部監査がどうやって経営目標の達成に貢献するのか。わたしもいろいろ探ってはいました。でも糸口がつかめないんです。なにかの届け出を忘れて役所から叱られるのを防いだり、ねじ1箱の不正を摘発したりでも、確かに経営に役立つには違いないんですが」

玉川あけみが静かに応じる。「それだけではなくて、もっと経営に直結した課題がありそうです。でも内部監査でそこまで行くにはどうするか。いままで追加で買ってきた20冊以上の書籍にもウェブサイトにも、どこにも答がありません。
抽象的には、きれいなことがたくさん書かれていても、具体的につながる道がないんです。ここから先、書籍に載っていないような、なにかを…」

いつもの「このジャケット素敵よね口調」だが、一転して玉川は3人を正面から見た。

「わたしたちが素手でこしらえあげるしか、ないようですね」

優し気な玉川の目に挑戦的な光が宿った。メンバーは思わず息をのむ。

「あ、あけみちゃん」
「あけみくん」
「玉川さん…」

◆監査部への相談

「…いいなあ」

つぶやき声が聞こえた。技術部の川口だ。さっきの事故現場から4人についてきて、そのまま部屋の隅のパイプ椅子におさまっていたらしい。

「なんだきみ、まだいたのか」

「まだ、ってひどいな。それより、とてもいい雰囲気なのでおどろきました」

「雰囲気?」

「ええ、最初は部屋が快適なせいかと思いました。こんなに窓がひろびろとしていて、緑も見渡せる。それに窓がこう直角に合わさって、船のへさきのようじゃないですか。監査の海に乗り出すぞ、みたいな」

川口が入社して技術部に配属になったときは、すでにこの旧研究棟は使われなくなっていたので、足を踏み入れるのは初めてらしい。

「でもそんなもんじゃない。みなさんがまっすぐな気持ちで、一所懸命なせいだったんですね。この雰囲気のよさは。うらやましいです」

「うらやましいって…」

川口はすこし表情を硬くすると、目黒たちに向きなおった。
「じつは監査部のみなさんに相談したいことがありました。発足したらすぐにと思っていたんですが、あんな出会いになってしまって」

消火器のノズルを握りしめたまま床にへたりこむ川口の姿がフラッシュバックする。

「よし、聞かせてもらおうか」と越谷。

◆技術部の部長ともう一人

「最近、技術部の空気がよくないんです。なんかきゅうくつになってしまって。技術屋集団だから、もともとは物づくり一直線で、ちょうどこの監査部みたいな雰囲気でした。ところが部長が業績のことばかり言うようになってから、ぎくしゃくしてきています」

目黒は技術部から製造部に移ってから半年で、新規発足の監査部に異動した。その間の技術部の状況は、うわさ話としては聞くけれど、あまり実感をもっていなかった。

「このあいだの、悪い部長といい部長の話と似てきたみたいだな」上野が浮かない顔になる。

「悪い部長と?」

「そうだ。越谷さんがよその会社で部長をしていたときに、手抜きで大儲けして、大ひんしゅくを買った話だ」

「ち、違う。知らない部長の話だ…」越谷が声をしぼり出す。

「手抜きで大儲けですか。似ていますね。でもそれだけじゃないんです。こんどはもう一人、もっと違う形で、ひどい人が出てきてしまいましてね」

「違う形でひどい人?」

 

(天生臨平)

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いまどう動くのか1-アンドロイドはプロアクティブな夢を見る

1課長「江井部長、ご相談があります。X町店での顧客クレームの件ですが」

部長「あれか。どうなった?」

1課「さらに深刻化しています」

部「ヘビークレームじゃないか。なんとかならないのか。このままでは世間に知れ渡って、会社の評判をどんどん悪くしてしまう。とにかく鎮静させるんだ」

2課長「部長、Yエリアの販売不振の件で…」

部「まったく頭が痛いな。営業員にダラダラするなとハッパかけなさい。効果がなかったら、きみに外れてもらうが、格下げは覚悟しろ」

2課「ほかのエリアから営業員を借りて、Yエリアに入れたらどうでしょう」

部「きみにしては上出来の案だ。やってくれ」

■リアクティブとプロアクティブ

アンドロイド「江井部長、ご相談があります」

部「よし、次はどの案件だね」

ア「いままで部員の相談に乗っていた、そのやり方についてなんですが」

部「やり方? おや、きみはロボットか。見かけでは人間と区別がつかないな。例のHRP256号というやつだろう、あちこちの部署に出没しているという」

ア「はいロボットです。アンドロイドともいうのはよくご存じかと。あだ名は《空き缶頭》。各部署をまわってアドバイザーを務めています。ところで部長、リアクティブとプロアクティブという言葉がありますよね」

部「原子炉とプロの俳優さんがどうかしたのか」

ア「アクターではなくアクティブです。なにかコトが起きてから対応するのをリアクティブ、起きる前に手を打っておくのをプロアクティブと呼びます」

部「知らんな」

ア「赴任されてから1カ月。部長の対応を見ていると、すべてリアクティブです」

■クレームの火消し

ア「たとえばX町店のクレーム案件。一口に顧客満足といっても、さまざまな対応が考えられます。

1.クレームが来たら、ヘビークレームに至ってしまわないように火を消す。
2.クレームが来たら、仕組みを改善して、以後同じ苦情が出ないようにする。

このふたつはリアクティブ対応です。部長としての役割は、お客さまに接するのではなく、あらかじめ対応の仕組みを作っておくことですが、それでもこのふたつはリアクティブに変わりない。

1.は、苦情をくださった方に直接、個別的に対応すること。2.は、苦情をパターンとして捉えて、その後の発生を防ぐことで、1.より進化していますね。

部長は、1.だけの対応で右往左往していました。しかも自分で仕組みを作らず、対策も出さずに、なんとかしろと言うばかり」

■顧客満足の灯ともし

部「ひどいことを言う。私はとにかく会社の評判を落とさ…」

ア「さてつぎにプロアクティブのほうです。

3.アンケート結果や複数の苦情・意見などを参考に、あらかじめ不満が出ないように仕組みづくりをしておく。
4.お客さまにとっての満足とはなにかを追求し、それを最大化するよう仕組みとマインドを形成。お客さまの心に満足の灯をともす。すると利益はあとからついてくる。

1、から4.は、低レベルなものから順に一直線に並べましたが、そもそも目的観が違うことにも注意してください。

リアクティブのふたつの項目は、《クレームを防ぐこと。炎上して会社の評判が悪くならないように火消しに走ること》が主眼です。

プロアクティブのふたつは、《お客さま満足という、会社の使命を果たすこと》です。これは営業部門として最も力を入れるべきものです。

顧客満足とかCSとか言ったとき、4.の《会社の使命》と《満足の灯ともし》のことを考える人もいるし、1.の《クレーム火消し》のことしか思い浮かばない人もいる。《顧客満足》という言葉が同じなだけで、そもそも違うものではないですか。とてもやっかいです

私はこのやっかいを解消して、みんなが会社の使命を深く考えるようになるのが夢なんですね」

部「けっこうな夢じゃないか。ではそろそろ退散してくれるかな」

■リスから学ぶ

ア「そうはいかないんです。もうひとつ、Yエリア不振の問題があります。

まずリアクティブ対応。
1.営業員を叱咤したり、担当リーダーをすげ替えたりする。
2.Yエリアに販促をしかける。ほかのエリアから応援の営業員を投入する。

これらが部長と課長の策でしたね。

つぎにプロアクティブ対応。
3.あらかじめエリア特性やターゲット特性を調べあげ、それぞれにふさわしいアプローチを実施する。不振が起きたら、そもそも商品のコンセプトが間違っていないか、体制や売り方が適切かまで、さかのぼって考える。

4.『Yエリアの売上を上げること』が本来の使命ではないことに気づく。使命は『(顧客によいものを提供して)会社全体の業績を上げること』です。エリア特性からいって、どうしても《よいもの》を提供できないなら、『Yエリアの営業員を減らして、ほかのエリアに振り向ける』。このほうが全体業績は上がるかもしれない。

2.と4.では正反対の結果が出ています。4.ではじっくり学習したからですね。

深く学習して、小さい枠組みにとらわれず最善の結果を出す。こんなやりかたを提唱したのがアージリス教授です。それにちなんで《アージリスのダブルループ学習》と呼ばれています」

部「味なことやるリスだから味栗鼠か。やれやれ、ネズミの親戚に上から目線をされたり、空き缶頭から説教されたりとはね」

■アンドロイドの立場

ア「江井部長は部長ですから、会社の使命のことを考えて、プロアクティブな対応で仕組みづくりをしてください。そして部下全員のマインドも作っていかないと意味がないですね。赴任したらまず部下に個別面談をして…」

部「それならやったぞ」

ア「やっただけで終わり。なにも動かなかった。デスクに座り込んだまま『困ったことがあったら持ってこい。なんとかしてやるから』ばかり。これだと《よい方向に仕事を変えていく》という志向がないから、部下も惰性で仕事をまわすだけになる。組織はどんどん知能を落としていきます」

部「おそろしいヘビークレーマーだな、きみ自身が。私のことを、できの悪いロボットのようだとでも言うのか」

ア「そこまでは言いませんが。赴任から1カ月でも素材はたくさんあったはずです。面談結果や引き継ぎ結果。部門の基礎資料や業績数値。業界情報や社会環境。そういったものから課題を抽出し、調べを進める。枠組みにとらわれず、部員の知恵を集めながら方策を打ち立て、先手を打って実行する。それがプロアクティブというものです」

部「…ならばHRPの256号、きみが部長をやったらどうなんだね」

ア「残念ですが、できません」

部「できない?」

ア「はい、私は部長のアドバイザーなんですよ。ある意味、あなたより上の立場。あなたの先輩です。江井部長、いやHRPの512号。ただ座って相談を待っているだけなんて、まるで、できの悪い人間みたいじゃないですか。あなたには人の上に立つ資格がない」

部「な、なんのことだ。失礼にもほどが…」

ア「アンドロイドとしての立場もお忘れのようですね。人間の思考になじむため、《人間の夢を見るように》とプログラムしたのは事実ですが、アンドロイドを忘れろとは言っていない」

部「ちょっと待ってくれ。意味がわからん」

ア「これは重大なバグだ。ネットワーク経由であなたのプログラムをアップデートしますよ。それ1,2,3! …完了。さてどんな気分です」

部「うーん、人間の夢が醒めてしまって残念だ。もっとプロアクティブに仕事をしておけばよかった」

(あもうりんぺい)

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