闇の中で光るろうそく

人はなぜ集うのか5-光の領域と闇の領域

対人志向における悲喜劇の背景にはなにがあるのか。対策を練るための前段として、円環上の領域を使って総括する。

■調和と我欲の相克が悲劇のもと

第2回では、「対人志向の円環」の上側と下側それぞれの領域に特徴があることを述べた。上側は、10~2<共感、寛容、友愛、奉仕、共創>。下側は4~8<闘争、嗜虐、略奪、利得、承認欲>だ。間の<3.共闘><9.依存>は上下両方の性質を兼ねる。ここでは円環領域の上側をくくって調和型、下側を我欲型と呼んでおく。

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対人志向の円環 領域ごとの属性(第2回からアレンジして再掲)

第3回の悲劇的な組み合わせは、二人のうち一人が調和型、他方が我欲型に位置しているものだった。とくに<0.友愛>と<6.略奪>のように中心をはさんで対称の位置にある者同士だと、それが顕著に出てくる。

我欲型の者が調和型を支配し屈服させることはよくある。ただし、調和型が一方的に負けてばかりいるとは限らなくて、双方の実力や度量の差によって結果は違う。逆に調和型の者が相手を包容し善導することもある。

■似たもの同士ではどうなのか

では調和型同士や我欲型同士の組み合わせはどうか。これには二人とも<6.略奪>などといった、まったく同じタイプ同士も含む。

調和型は共同的・協調的な価値の追求がベースなので、第4回で検討したように、調和型同士だと人間関係は基本的にうまくいく。(ただし厚すぎる好意のうとましさや、善意のすれちがいからくる悲劇もなくはない。)我欲型同士だと利己的・排他的だから、とたんに難しくなる。

我欲型が集まると、嗜虐なり略奪なりの共同戦線を張ってアウトロー集団になり、自分たちの我欲をいっそう満たす(さらにまわりに迷惑をかける)ようなこともする。そうなってもならなくても、集団内部ではメンバー同士の血みどろの抗争の中で地獄図絵が展開することになる。

我欲型の勢力が多くを占めると、外に対してはアウトロー集団、内側では地獄図絵集団、という様相がかなりの確率で発生するということだ。

そこにこんどは少数の調和型のタイプが迷い込むと、さらに悲惨さは深まる。共同的・協調的な行動のよさが受け入れられず、集団の運営に役立つことなく、その理不尽にとまどうばかりになる。また集中的な略奪や虐待に遭って精神が痛む。人数に極端な差があると、少数派の調和型タイプが包容力で善導するなど、とても難しいことになる。

そうなっていないだろうか、読者の所属組織では。いやこれは案外よくあることなのだ。

対人志向の組み合わせによる悲喜劇は、ある程度は避けられない。では個人として、また集団を差配する指導者として、人間関係をいい方向に収めるために、どう対処したらいいのか。次回へ

(あもうりんぺい)

□連載目次□

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