結婚披露宴の待ち時間、男子二人の会話が続く。
栄太「おまえの言うアンテナって、どう役に立っているんだ。気に入った情報をメールかなにかで社内にばらまくって、それだけの話だろう」
備伊夫「それだけの話だが結果が出ている。たとえば、ある商品の市場が先細りになることを予測して、2年がかりで撤退作戦を進めた」
栄「2年がかりってどういうことだ。悠長な感じだが」
備「あの商品のときは、それが最善だった。消費者や流通に迷惑をかけないための段階的減産、生産ラインの縮小、代替商品の開発を並行してやった。時間をかけてソフトランディングさせたんだ。競合各社では、市場縮小が一気に来るまで気づかないで、かなりの損失を出したようだが」
栄「逃げるのに役立つんだ」
備「消費者心理の変化を読んで、新商品の企画につなげたこともある。おまえもよく知っているやつだ」
栄「ああ、あのヒット商品。でもそんな魔法みたいなことができるのか。ただのアンテナで」
備「いや、魔法の杖を振ったら新企画がポロリと出てくる、なんてことはない。アンテナは過去の事実をかき集めているに過ぎないんだ。未来へのビジョンは人間の頭から出てくる。そこでアンテナはふたつの大切な働きをする。ひとつは気づきを与えること。ふたつめは、企画に自信や裏付けをつけてくれることだ」
栄「まあ、自信があれば動きやすいよな」
備「この《気づきと自信》が、組織の《いま、どう動くのか》にとって、かけがえなく大切なことなんだよ」
■やっぱり大切な多様性
栄「しかしそんなにいろいろな情報を拾えるものなのかな」
備「ひとくちに商品企画の仕事といっても、技術に特化した者もいるし、マーケ寄り、法制度寄り、デザイン寄り、いろんな能力のあるやつが部内にいることが前提なんだ」
栄「ウチではマーケもデザインも外注頼みだからなあ。まわりは似たようなやつばっかりだし」
備「一見すると部署の仕事に関係なさそうな、情報通信や財務でプロ級の者もいる。社会の雰囲気や人の好みといった定性情報のウォッチを続けている者もいる。そんな自分の分野を発信するのは当たり前だ。人の属性の多様性は組織力の根幹だが、アンテナひとつとっても言えることなんだ」
栄「そのへんはウチにもいなくはないが、発言しにくい雰囲気だし」
備「そういえばいま、まわりを見て気づいたことはないか」
栄「このホテルの?」
備「そう、椅子やテーブル。さりげなくメーカーのロゴが見えるようにしている。環境映像のテレビモニタの下にも、わざわざ別に作ったメーカーロゴを貼りつけている。さっき見たトイレの設備も、みんなそうだ」
栄「宣伝しているってことか」
備「ああ、格式を重んじるホテルにとっては危険な賭けだ。だがうまくやると、おたがいのブランドを高めることになる。おそらくほかにだれもやっていないし、報道もされていない。マーケ専門のおれにとっては見過ごせないんで、これは明日、アンテナメールにぶち込むネタだな」
栄「ふうん、そういう目で見るのか。おまえもけっこう変わったな」
■マクロ指標とトンガリ人財
備「経済の動向も大切だよ。景気指標、人口動静、為替やGDPといったマクロ指標の分析に強い者もいる。そいつはたまたまおれの部署にいるんだが、このレポートはヤバすぎるので、全社で共有することになっている。社外秘だから、おまえに見せてやるわけにはいかないが」
栄「そんな分析なんてできないし、できそうなやつもいないし…」
備「マクロ指標をナマで分析するのがたいへんなら、アナリストレポートも出回っているよ。有償無償でね。建設業界ならそれに合った分析をしてくれるアナリストもいる。それはおまえの会社のどこかでも利用しているはずだ」
栄「ならばそれで問題ないじゃないか」
備「そのかわり競合他社も同じレポートを目にしているから、それだけでは競争力の源泉にならない。ウチの椎井のレポートみたいに独自視点で、しかも会社に密着した分析とは違うんだ。椎井は仮名だがね」
栄「なんだよ仮名なんて、もったいぶるなよ」
備「強力なアナリストを擁していること自体が企業秘密だ。やつみたいに、とんがった人財を育て上げるのが競争力なんだよ」
栄「そんなすごい人がいるのか」
備「ああ。そのうち有名になって経済誌のインタビューを受けるほどになるだろう。学生の時代には個人のとがった能力なんて表に出ない仕組みになっているから、採用してから発掘して育てるんだ。おまえのところでもやっているか? そんな育成を」
栄「…」
■内部にもアンテナを張る
備「アンテナの対象は外部環境だけじゃない。いままで言わなかったが社内情勢や部内情勢もつかんで共有する必要がある」
栄「社長派と専務派が抗争しているとか、そんなやつか」
備「だいぶ違うな。保有技術と資産、人財と競争力、業績と見通し、方針の浸透、組織風土の変遷といったやつだ」
栄「おまえの部署が商品企画部だから、そんなアンテナとかが必要なんじゃないか」
備「アンテナが必要なのは商品企画みたいなチャラい仕事だけじゃない。管理部門でもどこでもすべてだ。《いま、どう動くのか》はどこでも共通の課題だ。現に当社では全部署でそれを持っている」
■アンテナがないという苦境
備「これではっきりしてきたが、おまえの会社とか部署は、アンテナがないんだ」
栄「ええと、広報部では新聞記事の切り抜きを作っていて、たしか新聞社からライセンスを買って社内に…」
備「それは会社全体の話だろう。会社の業種に即した話だけは拾えるかもしれない。だがおまえの部署の職種は、会社のとイコールじゃない」
栄「あのー、それなら、企画のプレゼン資料では『近年の動向はこうで』『最近もこんな出来事があり』とちゃんと語っているし」
備「おまえの社内のだれかの資料だよね。どうやってその近年うんぬんを調べたんだ」
栄「どうやってって、知らないけど」
備「ほら、情報が個人ごとにばらばらで、いちいち調べた努力が個人で消費されているだけだ。なんと非効率な」
栄「悪かったな」
備「アンテナというより組織にとっての五感なんだよなあ。見る聞くさわる味わう嗅ぐ。そういったものにすっかりフタをしておいて、どうやって企画が当たるんだ。どうやって成長の方向をさぐり当てるんだ」
栄「さぐり当てるって…」
備「へーえ。ないんだアンテナ。めっずらしいなあ、いまどきぃ」
◆
栄「そうなんだよ! どうしようもない会社なんだよ。ってオレ、なんか追い詰まってるのかな……あ、あそこ! 詩織だ!」
備「お、われらが花嫁のお通りだ。着付け室から控え室への移動に出会えたというのは、今年いっぱい運がいいということだぞ、おれら」
栄「きれいだな、詩織」
備「きれいなだけじゃない。まさか詩織に、あんなとんがったマクロ分析ができる頭があったとは、学生のころはわからなかったなあ。…いかん、企業秘密をばらしてしまった」
栄「仮名の椎井さんて…」
備「くっそー、もっとアタックしておくんだった」
栄「おまえのアンテナが足りなかったんじゃないのか」
あもうりんぺい
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