Facebookの創立者、ザッカーバーグ氏

なぜ儲けるのか(1)

フェイスブックの創立者、マーク・ザッカーバーグ氏が5.5兆円の寄付を決定した。マイクロソフト創立者のビル・ゲイツ氏も以前から寄付活動に熱心で、先般も来日しておおいに話を盛り上げた。ともに2015年12月。これはどういうことなのか。筆者のまわりの声を拾ってみた。好意的な意見が圧倒的に多かったが、なかにはこんな話も。

「儲けすぎだからねえ。そのままじゃ憎まれちゃうよ。寄付は免罪符だろう」

「もっと名誉が欲しいとか。ただ儲けるよりも、寄付したほうが立派な人だと思われる。偽善という言葉もあるよね」

「そりゃ税金でしょ。アメリカじゃ、寄付すれば税金が安くなるっていう」

「キャッチ&リリースみたいだ。魚を釣って食べずに放す。カネを儲けて使わずに放す。なら、最初から釣らなくていいんじゃないの」

キャッチ&リリースは、いい例えかもしれない。だが最初から釣らないほうがいいとは思わない。なにかいいことをするとすぐ「名誉が欲しいんだろう」「偽善だ」と言いだす人がいるが、それに負けないのが勇気と信念だ。税金と免罪符説については、あとで言おう。

■ビジネスは望ましい集金装置

当サイトの基本コンセプトのひとつに「企業は、その本業で社会貢献をすべきだ」というものがある。良質な製品やサービスを適価で供給すること。雇用を確保すること。税金を納めること。これを真正な手段で、悪影響を最小限にして履行する限り、企業は社会貢献していると言える。しかしそれでも儲けすぎてしまったときは、どうするのか。

ビジネスは、社会で最も多くのカネが動く仕組みだ。これを利用して、企業活動で得た利益を社会に還流させる。みんなが上手に運用すれば、社会、とくに底辺のための大規模な集金装置として働かせることができる。資本主義が根源的に内蔵している格差問題に対して、小さくない規模で補正を施すことができるのだ。

筆者はザッカーバーグ決定を、歴史的に重要な事件と捉えている。「ソーシャルビジネスがなくなる日」で言った「胎動」が、目に見える潮流になってきている。その好例だ。5.5兆円の寄付を免罪符といって片付けられるだろうか。

■その意義が立証されていく

ザッカーバーグ氏が寄付する相手は慈善団体ではない。みずから設立した企業体(LLC)だ。このことが疑惑を呼んだ。手のこんだ節税対策ではないか。しかし節税対策なら、財団の慈善団体を設立して寄付するのが米国でのセオリーだ。あえてそうしなかったのは、「自分の意思で寄付金の投入先を決めるため」と氏は述べている。

氏らの企業体、Chan-Zuckerberg Initiative は、利益を生み出しながら、社会的意義のある活動に資金を供給していく。そうするとこれはもう「ソーシャルビジネス」そのものだ。前掲「ソーシャルビジネスがなくなる日」で述べた、すべての企業が当たり前に目指すべき姿に近づくことになる。金額に大小はあるにしても。

疑惑や憶測の背景には「人は自分の利益だけのために突き進むものだ。5.5兆円を寄付する人間だって例外ではない」という固定観念があるように思えてならない。いずれにしても、ザッカーバーグ氏の資金をめぐる動向は、社会の厳しい監視を受けることになる。そこまで計算して踏み切ったこの寄付行動は、やがてその意義が立証されていくだろう。

(あもうりんぺい)

photo: creative commons 2.5

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)