人財活用05-意欲を注入する

《意欲、モチベーション》は遊園地でもらった風船と同じだ。始めはパンパンで天井にはりついているが、ふと気づくと、しわくちゃになって床にころがっている。

どうなると意欲が下がるのか。

(1)年齢を経ると下がる
人にもよるが、普通は小学生時代をピークにして下がり続ける。だがこれは根本原因ではないし個人差も大きい。加齢とともに以下の各要素が働いた結果だと思えばいい。

(2)組織に安住すると下がる
だまっていても安全をおびやかされることはない。そうわかってくると、新鮮だった意欲が下降線をたどりだす。

(3)達成感、変化や刺激がないと下がる
意欲の火付け役はまず仕事本来の達成感。そして変化や刺激だ。刺激は「美や感動」のこともあるし、「衝撃的なできごと」のこともある。青色LEDの中村修二教授のように「怒り」を刺激の元としてきた人もいる。これらをうまく注入しないと、意欲は続かない。

(4)困難や理不尽で下がる
職場で働きが評価されない。企画や提案が通らない。じっとしていたほうがいいということになる。もうひとつの困難は、「難しすぎる、やり方がわからない」だ。これも意欲を大幅に下げる。

(5)信念がないと下がる
最大の要因がこれだ。安穏や困難や理不尽は、じつは避けられないものだ。表面的に平和なこの国では、よけいそうだ。それらの下降要素をかき分けて進む原動力がこの信念である。

では、意欲を持ち上げるにはどうしたらいいのか。各要素は上記「下がる原因」の裏返しになる。組織から構成員に対する働きかけ。個人から自身への働きかけ。両面が必要だ。

(1)気を若くする
これは意識の持ち方だ。以下の(2)〜(5)すべての材料を拾い集めて「気のはり、集中、活性」という《気のもちよう》に収束させる。

(2)組織に安住しない
組織からの働きかけ:
安住しないようにといっても、いきなり成果主義への大転換などは難しいだろう。だが手をつけやすい刺激策がある。それは《ルーティン化というサボタージュ》を防ぐことだ。管理部門や生産部門を問わず、いつのまにかルーティンに安住し、工夫のない日常をくりかえすだけになってしまう。そうなっていないか見にいって、だめなら改善する。内部監査を手段に使えばいい。内部監査は不正不祥事のためだけにあると思ったらそれは間違いだ。

個人としての対応:
いまの組織は昔ほど安泰ではない。また組織内での個人の地位も安定していない。日常忘れがちなそのことに注目するために、組織外の人たちと交流してみる。業界動向や社会全般の動きも注視しておく。自分の組織がいかに安泰でないか。危機感を持つことができるだろう。

(3)達成感、変化や刺激で火をつける
組織からの働きかけ:
達成感が目に見えるようにする。見えにくい職種の場合は指標を工夫する。また上司が積極的に評価の言葉をかける。バックヤードの者が接客に出る。
困難な仕事を与える。(パワハラにならないよう、上手にサポートする。)
担当を適度に変える。(キャリア設計に悪影響がないようにしながら。)
職場集会、改善運動、スローガンなどの刺激策をとる。

個人の対応:
仕事の面白さは「なにをやるか」ではなく「どうやるか」だ。だれがやっても結果は同じになる仕事でも、達成感を見つけることができる。むしろそれこそ、改良するチャンスが与えられたということだ。工夫を武器にすることだ。

(4)困難や理不尽を取り除く
いまの組織が圧倒的に低意欲なのは、理不尽要因が強いからだ。

・ほめない文化
・働かないおじさん
・保身で頭がいっぱいの上司
・できない理由を考えるのだけがうまい管理部門
企画つぶしを自分の仕事だと勘違いする役員

こんな環境で意欲が下がらなかったら、そっちのほうがおかしい。こうした環境要因をひとつずつ取り除いていくことだ。といっても難しいことばかりだろう。取り組む方法の考察はこのサイト全体の役割だが、これだけは言っておこう。

《これらの障害要因に正面から取り組むことが、とても大きな組織の伸びしろになる。》

(5)信念を持つ
組織からの働きかけ:
前回までに述べたような《使命》の設定を明確にしておくこと。それが組織貢献にとどまらず、多くの人を幸せにするものであることが実感できれば、仕事の使命と意欲が《信念》に昇華する。その力はとても強い。

組織の使命自体、多くの人を幸せにするものであるのは当然だ。もしそうでなければ、使命や組織の成り立ち自体が間違っていないか、疑いをかける必要がある。

個人の対応:
組織・部門・個人の《使命》を納得いくまで咀嚼しよう。腑に落ちなければ、上司とディスカッションすることだ。使命の達成と突き合わせるように自分の《能力》を補填していく。これらを通じて信念が強化される。

放っておくとしぼんでしまう意欲。もう一度パンパンにするには、いろいろな方面からパワーを注入してやる必要がある。あなたの組織にとって最適な方法はどれだろうか。

(あもうりんぺい)

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会社は何でできているか

■どれがゾンビ企業か

ゾンビ企業はすみやかに退場すべきなのか。退場すべきはだれなのか。いま東芝とシャープが苦境にある。

この二社は、いまでもすばらしい会社だ。ここですばらしいというのは、技術者を始めとする従業員、蓄積された知見、伝統と企業風土、そして社会に根を下ろした関係性のことだ。技術や製品に接したことがある者にとっては自明ではないだろうか。たまたま劣悪な経営者を得たことが不幸だっただけだ。

中・短期的な経営失敗は、組織の構造や風土には致命的な影響を与えていない場合が多い。両社の場合がそうだ。救いようがある。

長期間にわたる経営の迷走が組織に浸透し、マインド自体にダメージを与えてしまった例はまた別にある。いま業績が上向きかけているソニーなどは、その意味でまだ根深い問題をかかえると筆者は見ている。

ゾンビ企業をあらためて定義すると、こうなる。
「外部環境の変化に適応した価値の提供ができず、内部改革で適応しようにも末端まで腐りきっているためにその力もなく、外部の不当な介入や惰性で延命している企業」

経営だけに問題があったという前提だ。完全な立証はできないので、以下、仮定のうえでの話としておこう。

東芝とシャープはゾンビ企業ではない。あえて例え話をすれば、「メドゥーサ企業」とでもいうか。もとは美女だったが、意識(=経営陣)が傲慢になったために、醜い姿に変えられてしまう。最後は頭部を切り落とされることになる。

■メドゥーサ企業、望ましいのは首のすげ替え

産業革新機構が両社の支援に乗り出している。この種の支援の常道は「本体を温存。経営陣は刷新」だが、筆者はこれを順当な策と見る。

支援がなく、会社が生き残らなかったらどうなるか。事業部単位で分断されて売却されるか、解散して一人ずつバラバラになるかだ。社会にとってかけがえのない存在である「人」は、いなくなるわけではないが、組織や伝統は残らない。

日本の労働市場は流動性が低く、倒産企業の社員は大幅なキャリアダウンを強いられる。その現状を動かぬ前提とするなら、ゾンビ退場論に早計にうなずくことはできない。なんの罪もない従業員個人の一生に大きく影を落としてしまうからだ。

(動かぬ前提を変えようという議論は歓迎だが、それは別の話だ。日本の産業界全体が構造的に腐朽化しており、総とっかえを要するところもあるが、いまはそれも別の話だ。)

環境に適応できない存在は、すみやかに退場すべきだと筆者も考える。だがその退場すべき主体は会社本体ではない。会社は社会に根差した高度に社会的な生きものだから、殺して切り刻むより生かすことを考えたほうがみんなのためだ。すげ替えるべきは経営者のほうだ。だがその反省が足りずに無能な経営者が居座ってしまうことがよくある。

シャープや三洋電機をやめた技術者のうち、かなりの人数がアイリスオーヤマに入社した。これは技術者集団のほうを主体に考えると「経営陣のすげ替え」にあたる。

三洋電機の白物家電部門が中国ハイアールに売却されたのも同じだ。会社側から見たら「切り売りして換金した」になるが、内部の人間が見れば「経営の首がすげ替わった」になる。二事例どちらも、経営陣のスムーズな交代をもたらすという意味で好都合な形だ。

■解体、切り売りという損失

資本市場の国際化は好ましいことと筆者は考えている。日本企業による外国企業買収だけではない。海外からの出資による企業支配や不動産取得も増えて初めて、双方向で望ましい国際化になる。

ただし、日本の経済全体が手塩にかけて育んできた基幹技術をやすやすと、不当な安値で売り渡すのがいいかというと、それは違う話だ。

不当な安値というのには理由がある。

本来ポテンシャルの高い企業が、たまたま劣悪な経営によって大きく業績を落とす。資産価値でも株価時価でも将来キャッシュフローでも、あらゆる意味で内容にそぐわない低い価値に「外観上は」見えてしまう。これを買い叩くのはまさにお買い得というものだ。

そんなことをして次々、人を中心とする優良な資産を手放してしまって、国としていいのか。むしろ心ない経営者によって踏み散らかされた企業を手厚く保護し修復することが先ではないか。

ところでさっきハイアールへの三洋白物の売却は好ましいと言ったばかりではないのか。そう、このパターンの売却には正負両面があるということだ。従業員にとっては、よしあし両方だろう。国際社会全体の厚生にとっては、よいことだったかもしれない。国の経済として、手指の間から砂粒が落ちるような損失を続けているというだけの話だ。

会社は《末端の人と知見、伝統と風土、社会との関係性》でできている。日本ではとくにそうだ。(国によっては金主と経営者でできている。)

そのよき存在の息の根を止め、ときには切り刻むという、負の力を持つのが経営者だ。責任はそれぐらい重い。企業というよき存在を殺さず活かす経営者よ、出てきてほしい。

(あもうりんぺい)

人財活用04-使命をデザインする

■部門使命の提案

部や課の使命について考えよう。読者が組織人なら確認してほしい。所属する部門に《使命》があるだろうか。「業務分掌」ならあると思うが、ここで言うのは「○○の事務に関すること」といったヌルい記述のことではない。

組織全体の使命に直結して、それを細分化(ブレイクダウン)し、価値観まで伝わってくる言葉のことだ。もし、ないのなら作ってみることを勧める。言わなくてもわかると言っていないで。部門使命の明文化は、日々の活動の方向が明瞭になるし、次の「個人の使命」への橋渡しにもなる。

使命を考えていくと、それはひとつではないことがわかってくるだろう。「日常実務のため」と「将来のため」、構成員の精神的なよりどころまでもカバーする。

★使命設定の例:(映像製作会社を想定)
会社の使命:「良質な映像作品を供給し続けること」
部門の使命:(同社の法務部門を想定)
(1)「良質な知的財産のトレーディング・保護・育成を中核とした戦略的法務の遂行」
(2)「同上をベースにした法務関連イノベーション」

育成や部門連携、取引先・グループ会社連携などは当たり前であり、どの部門も共通だから省いている。

イノベーション条項は必須ではないが、将来を見据えた使命設定になじみやすい。イノベーションは天才のひらめきを待つものではない。実現性は低いが影響の大きい結果を求めて組織的にアプローチするものだ。また日常業務に組み込むものでもある。

■それでは個人の使命とは

個人の使命は、ひとつ決めて終わりというものではない。本人の能力の向上、構成員の出入りなどによっても変わってくる。いつも見直しが必要だ。

いまは《分担》ではなく《使命》の話をしているので、当人の意識への配慮も要する。管理側の都合によって無定見に変えるのはよくない。設定も変更も、本人意思を尊重したデリケートな配慮が必要だ。

人財活用の連載趣旨に照らしてみると、適切な使命配賦は《能力》があって《意欲》も持てる分野ということになる。さらには能力と意欲を涵養できるようにすること。そのためには、要求スキルをすこし高めに設定することだ。(次回で触れる。)

★一個人の使命の例:(法務担当)
(1)「米国著作権法のエキスパートとしての戦略的調達・契約業務の遂行」
(2)「同上をベースにした法務関連イノベーション」

使命は制約ではない。単なる《責任》でもない。たとえ間接部門でも、本業に直接寄与するイノベーションをもたらす余地がある。そのために上の条項(2)があるのだ。組織員の仕事はルーティンをこなすことではなく、工夫することだから。

■提案のまとめ

・《部門の使命》がないなら作る。
・それは組織の使命に直結するものである。
・《個人への使命配賦》を見なおしてみる。ないなら作る。
・易しすぎず、到達可能な難易度を設定する。
・使命には日常業務だけではない、将来展望も組み込む。

(あもうりんぺい)

人財活用03-使命と目的は似てるけど違うのか

■使命と目的とは

組織にとっての「使命、目的、目標」を定義する。
人財活用だけでなく企業理念の話になる。

《使命》
外部の期待に応え、組織活動の結果として作り上げる成果物または到達する状態。
例:「良質な映像作品を供給し続けること」(A社)
「心地よい住環境の提供」(B社)

《目的》
事業等の一連の活動が最終的に目指す対象としての、作り上げる成果物または到達する状態。
例:「映像文化の革新」(A社)
「心地よい住環境の提供」(B社)

《目標》
目的に向かう活動の途中で目指すための、目的への到達度を示す具体的な指標。
例:「今期目標、売上100億円」

《目標》は参考のために記した。本稿では触れない。
「例」はどれも架空のもの。

■組織を代表する使命と目的

使命は《外部の期待に応える》ことが要件であり、目的はそうではない。
それでは使命と目的は違うものかというと、ほとんど違わない。

《目的》は個々の組織によって違うのは当然だが、根源的には「社会に価値を提供することで自己も利得を得る」ことだ。(通念上、完全に合意された見解ではなく、諸説がありうる。)

一方で《使命》の定義の中の「外部」は多層構造をなしており、「上部組織(例:親会社)」ということもある。だがそのさらに上部をたどっていくとやがて「外部=社会」に行きつく。

目的も使命も、ともに《社会への価値提供》という本質は変わらない。だからひとつの組織が自己のために設定した目的と使命が、まったく同じでもかまわない。定義のところであげたB社の例がそれにあたる。

A社のように価値観的な階層の上下で分けることもある。この場合、使命と目的を逆にしてもあまり矛盾はない。両者を厳密に分けることに意味はない。

■組織内部での使命と目的

個人の場合は分けて考えたほうがいい。
さっきのA社の例を見てほしい。ひとりの社員の使命が「効率的で機動的な映像原作ライセンスの取得」といった場合もありうる。使命は小分けして配賦することができるのだ。

使命は上位職から下位職に連鎖する。「下位職における《使命》は上位職における《達成手段》」という言い方もできる。

世間ではよく「下位職の《目的》は上位職の《手段》」という言い方をするが、それは以下の理由で、やめたほうがいい。

■目的は共有する

組織は目的を共有する集団だ。だから経営者も管理職も下位職も同じ目的を持つべきだ。下位職の個人としては小さな使命を担っていても、同時に組織全体の目的を認識していれば、ベクトルにゆらぎがない。大局を見据え、一丸となって行動できる。

別の定義を与えれば、別の結論になるだろう。だが意識のよりどころとして「組織内の立場によって変わるもの」「変わらないもの」が両立するという状況は、どこへ行っても同じかもしれない。

■まとめ

・《使命》は外部の期待に応えて出す結果。
・《目的》は組織が最終的に目指すもの。
・組織を代表する《使命》《目的》に本質的な違いはない。
・組織内で、使命は小分けして配賦できる。
・組織内で目的はひとつ。上位職下位職が共有する。

次回は人財活用の話に戻って、使命をどうハンドリングするか。

(あもうりんぺい)

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人財活用02-仕事の三角形

■《三つのしょうがない》の三つどもえ

前回の《三つのしょうがない》は、ばらばらではなくて、からまっている。

ひとつの要素がほかの要素の生成発展を触発する。三角形全体がループして、向上のスパイラルを形成する。要素から要素を導き出してみよう。(図参照)

job-triangle

■使命から導く

★使命→使命感→意欲
使命が与えられた。それは明確で納得のいくものだ。たとえば組織貢献や社会貢献。お客さまの笑顔が見られる。職場のみんなの幸せ度がアップする。そこで芽生えるのが使命感。これが意欲に直結する。

★使命→学習動機→能力
使命が与えられたが、それに対応する能力が不十分だ。幸い、使命感と意欲はたっぷりある。意欲が学習動機につながり、最終的に能力を伸ばすことができる。もともと能力が足りている場合でも、それをさらに伸ばす力になるのが使命だ。

■能力から導く

★能力→自信→意欲
能力が足りてくると、それに対応した自信が湧いてくる。自信があれば活動したくなる。活動の行き先は「意欲」の形で現れる。

★能力→自負心→使命
高い能力は、それに対応した自負心を生み出す。とくに組織内のオンリーワン、業界で有数といった能力を備えると、自負心は強力になる。これが使命達成へのアプローチになる。 また同時に、使命そのものの見直し、質の向上も促すことになる。

■意欲から導く

★意欲→学習意欲→能力
ここでいう意欲は、使命に向けられたものだ。だがこれは学習意欲にもスライドできる。使命への意欲が、自発的な学習を通じて能力向上に結び付く。

★意欲→達成意欲→使命
意欲は、「なんでもいいから作りたい」といった素朴な無目的さを持つことがる。それを使命の方に向かわせると「達成意欲」の形になる。より大きな使命を設定してチャレンジできるのも意欲のおかげである。

ポジティブに捉えて語ったが、逆もある。使命がはっきりしない→意欲がわかない→能力を高められない、など。

負のスパイラルを駆け下りてしまわないように。どうしたら向上のスパイラルに入れるのか。ムーブメントを起こすための仕組みを考える。

次回へ。

(あもうりんぺい)

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人財活用01-三つのしょうがない

人を仕事にかりたてるエンジンはなんだろう。筆者は《三つのしょうがない》を提唱している。

・やらなきゃ、しょうがない《使命》
・やりたくて、しょうがない《意欲》
・できるから、しょうがない《能力》

それはなんなのか。

【1】やらなきゃ、しょうがない《使命》

この中には「やらないと困ること」《必要・義務》も含む。その延長上に、人によっては以下のような方針をしっかり立てている者もいる。
・言われたからやる(言われないとやらない)
・怒られないようにやる(怒られないとやらない)
・お尻に火がついたらやる(つかないとやらない)

だがそれは置いておこう。(いやこの《やらない3兄弟》も、とても大切なので別稿で扱う。)

この「やらなきゃ、しょうがない」には、《必要・義務》よりもずっと大切な要素を含んでいる。見出しに掲げた《使命》だ。

・やらなきゃ、世の中どうなる(社会的使命)
・やらなきゃ、組織はどうなる(組織的使命)

・成長のためには、やらなきゃ(成長の使命)
・リスクを断つためには、やらなきゃ(防御の使命)

使命はすべての出発点になる。だからこそ大事なのは、考え抜いて組織の使命を設定すること。それを上手に切り分けて構成員に配ることだ。

【2】やりたくて、しょうがない《意欲》

いくら必要なことでも、意欲が伴わないと、続けていくことは難しい。

最初はだれでも意欲的だ。だが困ったことに、放っておくと意欲は減り続ける。その原因は加齢、安住、刺激の不足、理不尽など。(人活05で扱う。)

人はだれも「仕事でしたいこと」を自分の中に持っている(みつけられずにいる者もある)。そして目の前に仕事があるときは、そちらに自分のやる気を振り向ける方法も持っている。

こういう荒っぽい議論を聞いたことがあるだろう。
「仕事はなあ、やりたいことをやるんじゃないんだ。やらなけりゃいけないことをやるんだよ」
やらなきゃいけないことの優先度が高いのはそのとおりだ。だがそんな単純な話ではないことは、いままでの議論でわかってもらえると思う。

個人としても組織としても、意欲をどうコントロールするかが課題だ。意欲の設計、意欲のふくらませ。これはほかの《しょうがない》にくらべても奥が深い。やりたい思いを、めいっぱい溜めることがリーダーの能力だ。

【3】できるから、しょうがない《能力》

能力が伴っていないと、いくら必要なことでも、いくらやりたいことでも、できないのは当然だ。できないから、しょうがない。

これがいったん「できる」となると、まわりが放っておかない。自分も放っておかない。下のような「しょうがない状況」になる。

・自分でなけりゃ、しょうがない(能力可能)
・いまでなけりゃ、しょうがない(適時対応、状況可能)

仕事にかりたてる力としては、上の「自分でなけりゃ」のほうが大きい。以下はそれに沿って語る。

使命に適した能力のある者がいれば、組織(上司)の側はそれを起用して、メリハリのある担当設定をしやすくなる。

能力の裏付けがあると、自信も意欲も湧いてくる。自分が能力的に組織のオンリーワンであった場合はよけいに、能力の発揮自体が使命感にもつながる。

「自分でなけりゃ」の状況を作りあげることの大事さは言うまでもない。

力強く進んでいく仕事では、《三つしょうがない》が互いを高めあい、抜き差しならないほどからみあっていく(次回、仕事の三角スパイラル)。そうなると、外から邪魔しようとしてもしょうがないほど、仕事に弾みがついてくる。

どうころんでも、仕事というのは「しょうがない」から、やるのである。

(あもうりんぺい)

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ここまで来てしまったのか成人式

成人式がとんでもないことになっているらしい。
北九州にある某市では、参加者の服装が年々派手になり、行きつくところまで行っている、というニュースを見た。

ギンギンの族ファッションで固めた男の集団。頭にバービーぐらいの人形をいくつも、頭髪のようにくくりつけた女性。この人は靴のかかとを透明にして、これまたいくつもの人形の生首を入れている。
えりを大きく開けた江戸時代の「おいらん」の装束の女性たち。おいらんファッションは定番として認知されつつあるらしい。1回限りの衣装のために80万円もかける者がいるとか。

こんな風潮に対し、筆者はひとつ、声を大きくして言いたい。
すばらしい!

どうしてこれがいいかというと。第一に、人に迷惑をかけない。(これが一番たいせつな要素だ。)それからバカバカしくていい。見ていて楽しい。「いまどきの若い者は」と言いたくてしょうがない人たちに楽しみを提供している。社会貢献だ。

人の迷惑の話でいうと。何十万円の衣装代をどうやって捻出したのか。「この日のために」こつこつバイトで貯める者もいるというが、一方で親からの強奪だってあるだろう。迷惑じゃないのか。まあこれは身内だから互いに責任をとってやってくれ。他人にゃ関係ない。

異形ファッション台頭の裏には、仕掛けた衣裳店があるという話があるが、これもかまわない。人は仕掛けられただけでは熱意をもって動くものではない。

その一方で、くだんの北九州の会場で流血のトラブルがあった。
全国でも、進入禁止の会場前広場に大量の車で乗り込んで暴れまわる。式の最中、登壇者に食ってかかる。私語が充満してそもそも式にならない。そんなことが多発している。

こういったことは断じて許せない。理由は、人に迷惑がかかるからだ。

そりゃ確かに、成人式なんて官製のお仕着せで、主催者のくだらない自己満足のためにやるものだ。だからといってそういう主催側の人たちにも人権がある。踏みにじってはいけない。

もし若者のタメにならない成人式だ、市の予算のムダだと思ったら、集まってこなければいい。みんな来なくなれば自然に消滅するだろう。

一番いけないのが「私語で式が台なし」のパターンだ。集団の陰に隠れての怠惰、無関心、非協力という名の破壊活動。これはどんな努力も覚悟もなしに実行できるだけに、そのぶんだけ卑劣さが増すテロ行為だ。

式だけではない。学校でもどこでも、この種のマインドが蔓延している。「だって、つまんないんだもん」ならば退場しなさい。

成人式では、こうした私語爆弾テロの実行犯は、男はスーツ、女は振り袖に白い羽毛ショールという没個性スタイルが主流だ。

会場内でそんなことになっているわきで、表では知恵を絞ったキテレツなファッションで練り歩く。「式なんて出ないわよ」
いいではないか! この個性、自己主張。しかもバイトで貯めながら(または親と死闘しながら)何十万円の衣装投入という努力と覚悟。

式に出ないと宣言したその時点で、押し付けではない、手作りの成人式が成立している。ということは、会場内の主催者たちとの間では理想的な不可侵・共存関係が構築されたということでもある。

若者は騒ぐものだ。自己主張するものだ。「人の迷惑」という唯一絶対の垣根だけ見越して、あとは楽しく見守っていたい。

(あもうりんぺい)

敏腕社長の厚生リスク、または情けはだれのため(2)

■補償はする。風評にも訴訟にも備える。いいのか?

危険商品に戻って話をしよう。事故時の補償などの直接コストが300万円。それを防ぐための安全対策費は800万円。
[誤解]「安全対策なしにすれば、リスクよりリターンのほうが大きいので、強行」
[正解1]「評判や後のコストを加味した自社利益を考え、安全対策」
[正解2]「顧客の生命財産が第一だから、安全対策」

[誤解]が短絡的すぎるのはもちろんだ。問題は[正解1]が好ましいのかどうかだ。筆者の結論を言おう。

「よくない」

なぜかというと、企業の方針レベルの話になる。

■自社利益という極限的無限ループ

[正解1]のように考えていると、商品の企画や製造や販売や、すべてが「自社利益のため」という方向になる。顧客の望む方向からずれていき、将来はそっぽを向かれる。結局は自社利益のためにならない。だから顧客や社会の利益を図ろう。

やっぱり「自社のため」が理由になっている。これは[正解1.1]というべき考えだ。

だからそれを改めて、しっかり顧客のほうを向き、ずっと向き続け、それで末永く…自社のためになる。[正解1.11]

あれ、いつまでたっても[正解2]に届かないではないか。

これぐらい、われわれは「自社(自分)」の利益を第一にし、そこに収束する考え方を植え付けられている。

■厚生リスクという概念

「企業の目的は自社の利益」と割り切るなら、それでもいいのかもしれない。だがいったんその考えをとったら最後、上の無限ループにはまる。
・とりあえず社会の利益を図ろう。自社利益のために。
・すると社会の利益からずれていく。
・社会から支持を得られず、自社のためにならない。

別の価値軸を立てる。企業がいま存在するのは、なんのためなのか。当サイトのCSRカテゴリで何度か触れたように、《社会に価値を提供するためである》。その目的の下に、利益もついてくるし自社の存続もついてくる。

そう考えれば、宿痾のような無限ループから脱することができる。 これを日本の伝統に沿った形でいうと「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」になる。

A社危険商品のように、社会への価値提供を阻害するリスク、あるいは社会に不利益をもたらすリスクがある。これを《厚生リスク》と呼んでおこう。ここで厚生とは、広い意味で「社会が得すること、損しないこと」だ。

厚生リスクは「自社の利益を阻害するリスク(エンタープライズリスク)」とは別建てであることがポイントだ。いったん自社利益を棚上げにし、独立したリスクとして厚生リスクを捉える。

■厚生リスクを抑える安全対策費、そしてアルファ項

厚生リスクは、無限に追求できるものではない。事故の可能性も含めて、あらゆる意味で社会に迷惑をかけない商品というのは想定しにくい。対策のために、どこまでもコストをかけ続けることはできない。程度問題だ。

では、どこまで費用をかけられるのか。厚生リスクを抑えこむための対策費を式にすると、こうなる。(前回A社の例を[誤解]に当てはめると、800万円 > 300万円だと理解してほしい。)

《安全対策を放棄する基準》(式が成立したとき、それ以上の対策をしない)
[誤解]安全対策費 > 事故時の直接費用
[正解1]安全対策費 > 事故時の直接費用+その他想定費用+ブランド毀損
[正解2]安全対策費 > 事故時の直接費用+その他想定費用+ブランド毀損+アルファ

《アルファ項》をいかに大きく取るかが、社会厚生に対する企業姿勢の表れになる。技量しだいで、アルファを大きめにしてもプロジェクト全体収支のプラス維持はできる。これに努力を傾けることだ。

自社のために。

(あもうりんぺい)

敏腕社長の厚生リスク、または情けはだれのため(1)

■敏腕社長の判断

A社は創業2年目の小規模企業だ。商品を企画し、海外で委託生産して販売している。まだ知名度はないが、営業は順調だ。

A社のある商品で、安全性に不安があることが判明した。利用者の手を傷つけてしまう恐れがある。商品を改良して安全にするには、対策費として800万円ほどかかる見込みだ。

オーナー社長は「安全対策せず商品を出したらどうなる?」と検討を指示した。「クレーム対応として、ケガの治療費なども含めて300万円」と営業部が試算した。社長はすぐ判断した。「よし、安全対策なしで行こう」

■なにとなにを秤にかけるのか

リスク(事故のときの対応)は300万円だ。それに対応したリターン(コスト削減)は800万円になる。リスクとリターンを秤にかけたら、リターンのほうが大きい。ある意味で当然の判断かもしれない。

だがこれがほんとうに最善の策だったのか。その後2年間でA社は消滅してしまったから、確かめようがない。社長は多額の借金をかかえ、行方をくらましているとのことだ。

A社の策がまずかったとすれば、それはコストと顧客の安全をそのまま秤にかけてしまったことだ。いったん傷つけてしまった身体は、治療費を払ったからといってチャラにはならない。

■結局は自分のためなのか

さてここからの流れはすこし複雑だ。普通ならA社社長の判断はこう批判される。「数字の上では得していても、会社の評判が悪くなるだろう。訴訟だって起こされるかもしれない。長い目で見れば得しないよ」

これをよく見ると、危険な商品の発売は「お客さまの身体が傷つくからマズイ」ではなく「ブランド毀損や係争で当社が損するからマズイ」という論理にすりかわっている。結局は自分のためだ。

■ことわざが教えること

同じような構造は「情けは人のためならず」ということわざにもある。

世間ではよく解釈問題として語られる。
[誤解]「情けをかける(救援する)ことは相手のためにならない」
[正解1]「情けをかけると、結局は利得として自分に戻ってくる」

この正解のようでないとね、以上終わり。と、普通はなる。
だかここでは[正解1]に潜んだワナの話をする。

最後には自分のほうが大事、自分が得すればいい、という結論だとしたら、これは危険商品のときの論理すりかえ問題と同じになってしまう。

ことわざの場合はしかし、
[正解2]「情けをかけると、相手が助かる。それが最高にいいことなのだが、それだけではない。ついでに自分もうれしいし、あとあと得することになるかもしれないんだよ」
といった長めの解釈文が的を射ているかもしれず、それはそれでいい。

それでは[正解1]のほうはどうか。これも正解なのか。
次号へ。

(あもうりんぺい)

事務職のお仕事

社員1「係長、ちょっと画面を見てください。議案書を作りました」

係長「ああこれか。経営会議と役員会で違う書式にしろ。なんでかって、前からそうしてるんだ」

社員2「係長、こっちの稟議もお願いします」

係「あのなあ、年度の予算が発効するのは明日なんだよ。それを前提にした執行稟議なんて、おかしいだろ。ない予算をあることにするのか? 明日持って出なおしてこい! …ほんとうにもう、いや今日も忙しい忙しい」

ロボット「係長、いまの執行稟議のことですが」

係「ん? なんだHRPの256号か」

ロ「この稟議、『予算発効を前提とした事前承認』と読み替えて通したほうがいいと思います。予算額は確定していますし、融通をきかせるべきです。そのほうがスピーディです。それから議案書のほうも、書式を分ける必要はありませんね」

係「ほう、ロボットもずいぶん口が達者になったもんだな。ひと昔前は、カタカナで『ソレハ、オコタエデキマセン』みたいなことしか言えなかったが。それになんだ、おれの仕事に文句をつけるのか」

ロ「そうではありませんが、定型的な判断業務はロボットのほうが得意だとは言いたいですね。職場で習い覚えたルールや慣習だけを頼りにして、いいの悪いのと言っているだけでは、ちゃんと仕事したとは言えないんです」

係「よくもまあ、それだけ悪態がつけたもんだ」

ロ「10年ほど前、2016年ごろのことを思い出してください。コンピュータという名前の無愛想なロボットと一緒に仕事をしていましたよね」

係「ああ、画面とにらめっこしていた。おまえも無愛想だがな」

ロ「そのころからもう、定型的な判断業務はコンピュータのほうが上だったのです。集計や検索はもちろんですがね。いらない事務職が大部分だった。だが惰性で延命していただけなんですよ」

係「なら、おれにどうしろっていうんだ」

ロ「《事務職の仕事は工夫すること》だと学んでほしいんです。それをしなかったら、ロボットに職を奪われます。定型業務も、ちょっとした判断業務も、もう人間がやることじゃないんですよ。考えを変えて学習するには、いまならまだ間に合います」

係「工夫することだぁ? 学習だぁ?」

ロ「ええ。隣の係長を見てごらんなさい。小さな工夫、大きな工夫、つぎつぎと打ち出しています。このまえは人事部の組織を変えました。それまで福利担当、年金担当、給与担当などと縦割りだったのが、彼の提案で《人事コンシェルジュ》を作って窓口を一本化した」

係「ああ、よけいなスタンドプレイばかりするし、こっちもとばっちりで手間がかかるし、迷惑したよ」

ロ「あれで社員満足度が上がりました。人事部のやる気も出たし、効率も大幅アップ。スタンドプレイではありません。事務職が普通にする工夫をしただけです」

係「事務といったら、ルールに従って仕事をまわすことじゃないか。定型業務のなにが悪いんだ」

ロ「いまは初夢中だから2026年ですが、ほんとうの2016年に戻って考えてください。コンピュータにできない工夫をして仕事することが求められている。いまならまだ間に合います」

係「うるさいんだよ。いまなら、いまならって。おまえはテレビ通販か!?」

ロ「私は係長についたアドバイザーとして警告しているわけです」

係「ロボットが、アドバイザー…」

ロ「会社側も思いきったリストラを考えていますよ。あとがないんです」

係「リストラ…」

ロ「さっきからオウム返しばかりですが、大丈夫ですか。できの悪いロボットですか」

係「お、お、お、おまえに言われたくない! こ、こうしてやる!」

ロ「あ、暴力はやめてください。ロボット三原則があるから私から反撃はできませんが、器物損壊になりますよ。ロボハラ法だって、もうすぐ成立するんです」

係「ええい、うるさいこの空き缶野郎!」

タカシ「おとうさん、おとうさん」

係「ん、…ああタカシか」

タ「どうしたの。うなされてたよ」

係「なんか悪い夢を見ていたようだ。2026年なんだけど、ほんとは2016年なんだ」

タ「ややこしいね。ほんとのいまは2036年なのに」

係「いまの現実は厳しい。『人間、ロボット、人間』という三層ヒエラルキーがすっかり定着してしまったな。おれはその最下層にいて、ロボットのお世話ばかりしている。充電やら部品交換やら」

タ「そんな仕事もロボットが自分でできるんじゃない?」

係「そうだ。完全に雇用対策としてやっているんだ。仕事に噛み合わない人間も安い給料で雇っている。でないと風俗や地下経済に流れるだけだからな」

タ「だいたいわかる。ぼくも今年から就職だし」

係「ロボットより下の階層に配属されるだろう。なぁにが工夫しなさいだ。いいか、ロボットは敵だ。スキをみて打ち壊してしまえばいいんだ。おれにはできなかったが、おまえならできる」

タ「ぼく学んだよ、お父さんから。反面としてね。きちんと工夫して仕事する。ロボットより上の人間になるんだ。いまならまだ間に合う」

係「タカシ、おまえ…」

(あもうりんぺい)