鈴木敏文の法則

セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長が退任する。

きっかけや経緯はさまざま語られている。現セブン-イレブン社長の能力への疑念、経営陣との軋轢、トップ世襲問題、創業家との対立、お家騒動、老害など。そんな話はやがて泡のように引いていくだろう。ここでは別軸の議論をしたい。

氏の業績をたどってみると、鈴木敏文の法則(その1,その2)というべきものが浮かび上がってくる。

★鈴木敏文の法則その1★

・一見、常識からかけ離れた発案をする。
・まわりから猛反対を食う。
・無理押しで実施してしまう。
・正しい道だったことが、あとからわかる。
・世の中の常識自体が書き換わる。

■鈴木敏文の法則その1の事例研究

鈴木氏がまだ中堅社員だったころから会長時代まで通じて、この法則でいくつものヒットを飛ばしている。氏は30歳でイトーヨーカ堂に中途入社。39歳の米国視察でコンビニエンスストアという業態を知る。(以下、複数の雑誌記事等を基に構成)

○セブン-イレブン
米国セブン-イレブンにヒントを得て、日本化した独自のコンビニエンスストア業態を提案。

周囲の反対。
「小型店舗? この大店舗化の時代に、お客が入るわけがない」
「定価販売? 低価格で競い合っている時代に、売れるわけがない」
「早朝から深夜まで営業? 人件費と光熱費ばかりかさんで、ダメに決まっている。人件費の負担が一番高いこの時代に、なに考えているんだ」

結果は消費者の利便性やライフスタイルに訴え、市場を切り拓いて成功。ついに米国本家のセブン-イレブンを買収して傘下に収めるまでになった。

○コンビニでのおにぎり販売
セブン-イレブンでおにぎりを売ることを発案。
「おにぎりは家庭で作るものだ。コンビニなんかに置いても売れるわけはない」
いまどのコンビニチェーンでもおにぎりが売れ筋になっていることが、発案の正しさを証明している。

○セブン銀行
コンビニ店内にATM端末を置いて、手数料を収入源とする銀行を設立。
「銀行は運用と貸出金利で稼ぐものだ。手数料だけが収入でうまくいくなんて、聞いたことがない」
結果、利便性が受けて成功。

○プライベートブランドの統一価格
PBの「セブンプレミアム」「セブンゴールド」を、傘下の百貨店、スーパー、コンビニという業態の垣根を越えて統一価格で提供。
「百貨店とスーパーでは値段が違うのが当たり前」と全社から反対。「高くて売れない」「安くて値打ち感が下がる」など。
結果は売上右肩上がり、ヒット商品を連発。

■逆張りではなく順張り

いままでにない常識破りのアイディア。「ああそれ《逆張り》ね」という人がいるが、この言葉はすこし違う。

逆張りは「大勢が行く方向と反対をあえて選ぶ。選んだ根拠はべつになくてもいい」ということだろう。むしろ積極的に無根拠で反対を選ぶだけ、あまのじゃくと同じ、というニュアンスもある。それではリスクだけがかさんで、ハイリターンなど期待できない。

鈴木敏文の法則はそれではない。「顧客志向」「仮説と検証」をキーワードとし、虚心に現状を直視して情報を集める。理論的に考察し、最後に導き出された答えが、たまたま常識と相容れなかっただけだ。

でも猛反対にめげず敢然と実行まで持っていくのは、結論を導く過程に信念があるから。そんな仕組みになっている。法則の最後の「世の中の常識自体が書き換わる」もわかるだろう。イノベーションとは「そういうもの」だ。

■もっとすごい、鈴木敏文の法則その2

鈴木氏のまわりの人たちが反対したその判断根拠が、とても恐ろしいし勉強になる。

・「この時代に」(大店舗化の時代に、人件費が高い時代に)

・「うまくいくわけがない」(売れるわけがない、儲かるわけがない、儲かったなんて聞いたことがない)

・「○○は△△というものだ」(銀行は運用と貸出金利で儲けるもの、おにぎりは家で作るもの、業態によって価格は違うもの)

みんなが知っている事実だけを頼りに、思考停止しながら短絡的な結論を出している。

このような判断なら小学生でもできる。いやそれでは小学生に失礼か。子どもは常識に毒されていないぶん、もっと個性的な判断をするだろう。

鈴木氏のまわりにいた人たちには厳しい指摘になるかもしれない。が、これでもまだ配慮した表現になっている。《常識》はかなりマシな意味のある言葉だが、ここではあえてその語を使った。最適な表現はほかにあるかもしれない。《凡庸》とまでは言わないが。一回しか。

常識に固まった人は、それゆえに社会から厚い庇護を受け、多数であることを頼りに努力を払わずに安閑と暮らしている。だからこうしてすこしぐらい批判されてもしかたがない。

読者のまわりにもいないか。小学生未満の判断をするだけで地位と報酬を得て、社会になにも役立っていない人が。そんな人たちにフォーカスして、次の法則が導ける。

★鈴木敏文の法則その2★

・常識に固まった人は常識で考え、判断し、反対する。
・会社も業界も社会全体も、同じような考えの人ばかりなので、みんな同じ方向へ行く。
・その結果、さっぱり売れないし発展がない。

鈴木氏の高度な分析や発想はなかなか真似できない。でも凡愚のわれわれには、こちらの「法則その2」のほうが反面教師として学べるではないか。(ついに表現が《凡愚》まで来てしまった。)

■世間の常識が許さない

今回辞任のきっかけとなったセブン-イレブン社長人事案でも、周囲の猛反対を受けた。7年も安定して過去最高益をあげた井阪社長をなぜ辞めさせる、などと。

もし鈴木氏の人事案を実施したら結果がどう出たかはわからない。否決後の会社のゆく末も、いまのところ不明だ。あまりはっきりした結果が出ないほうが会社のためにはいいのかもしれないが。

鈴木氏による今回の人事案が指名報酬委員会に出されたとき、委員たちの反対意見は「世間の常識が許さない」だったという。

中途で終わったものの、退任の花道まで鈴木敏文の法則だった。

(あもうりんぺい)

事務職のお仕事

社員1「係長、ちょっと画面を見てください。議案書を作りました」

係長「ああこれか。経営会議と役員会で違う書式にしろ。なんでかって、前からそうしてるんだ」

社員2「係長、こっちの稟議もお願いします」

係「あのなあ、年度の予算が発効するのは明日なんだよ。それを前提にした執行稟議なんて、おかしいだろ。ない予算をあることにするのか? 明日持って出なおしてこい! …ほんとうにもう、いや今日も忙しい忙しい」

ロボット「係長、いまの執行稟議のことですが」

係「ん? なんだHRPの256号か」

ロ「この稟議、『予算発効を前提とした事前承認』と読み替えて通したほうがいいと思います。予算額は確定していますし、融通をきかせるべきです。そのほうがスピーディです。それから議案書のほうも、書式を分ける必要はありませんね」

係「ほう、ロボットもずいぶん口が達者になったもんだな。ひと昔前は、カタカナで『ソレハ、オコタエデキマセン』みたいなことしか言えなかったが。それになんだ、おれの仕事に文句をつけるのか」

ロ「そうではありませんが、定型的な判断業務はロボットのほうが得意だとは言いたいですね。職場で習い覚えたルールや慣習だけを頼りにして、いいの悪いのと言っているだけでは、ちゃんと仕事したとは言えないんです」

係「よくもまあ、それだけ悪態がつけたもんだ」

ロ「10年ほど前、2016年ごろのことを思い出してください。コンピュータという名前の無愛想なロボットと一緒に仕事をしていましたよね」

係「ああ、画面とにらめっこしていた。おまえも無愛想だがな」

ロ「そのころからもう、定型的な判断業務はコンピュータのほうが上だったのです。集計や検索はもちろんですがね。いらない事務職が大部分だった。だが惰性で延命していただけなんですよ」

係「なら、おれにどうしろっていうんだ」

ロ「《事務職の仕事は工夫すること》だと学んでほしいんです。それをしなかったら、ロボットに職を奪われます。定型業務も、ちょっとした判断業務も、もう人間がやることじゃないんですよ。考えを変えて学習するには、いまならまだ間に合います」

係「工夫することだぁ? 学習だぁ?」

ロ「ええ。隣の係長を見てごらんなさい。小さな工夫、大きな工夫、つぎつぎと打ち出しています。このまえは人事部の組織を変えました。それまで福利担当、年金担当、給与担当などと縦割りだったのが、彼の提案で《人事コンシェルジュ》を作って窓口を一本化した」

係「ああ、よけいなスタンドプレイばかりするし、こっちもとばっちりで手間がかかるし、迷惑したよ」

ロ「あれで社員満足度が上がりました。人事部のやる気も出たし、効率も大幅アップ。スタンドプレイではありません。事務職が普通にする工夫をしただけです」

係「事務といったら、ルールに従って仕事をまわすことじゃないか。定型業務のなにが悪いんだ」

ロ「いまは初夢中だから2026年ですが、ほんとうの2016年に戻って考えてください。コンピュータにできない工夫をして仕事することが求められている。いまならまだ間に合います」

係「うるさいんだよ。いまなら、いまならって。おまえはテレビ通販か!?」

ロ「私は係長についたアドバイザーとして警告しているわけです」

係「ロボットが、アドバイザー…」

ロ「会社側も思いきったリストラを考えていますよ。あとがないんです」

係「リストラ…」

ロ「さっきからオウム返しばかりですが、大丈夫ですか。できの悪いロボットですか」

係「お、お、お、おまえに言われたくない! こ、こうしてやる!」

ロ「あ、暴力はやめてください。ロボット三原則があるから私から反撃はできませんが、器物損壊になりますよ。ロボハラ法だって、もうすぐ成立するんです」

係「ええい、うるさいこの空き缶野郎!」

タカシ「おとうさん、おとうさん」

係「ん、…ああタカシか」

タ「どうしたの。うなされてたよ」

係「なんか悪い夢を見ていたようだ。2026年なんだけど、ほんとは2016年なんだ」

タ「ややこしいね。ほんとのいまは2036年なのに」

係「いまの現実は厳しい。『人間、ロボット、人間』という三層ヒエラルキーがすっかり定着してしまったな。おれはその最下層にいて、ロボットのお世話ばかりしている。充電やら部品交換やら」

タ「そんな仕事もロボットが自分でできるんじゃない?」

係「そうだ。完全に雇用対策としてやっているんだ。仕事に噛み合わない人間も安い給料で雇っている。でないと風俗や地下経済に流れるだけだからな」

タ「だいたいわかる。ぼくも今年から就職だし」

係「ロボットより下の階層に配属されるだろう。なぁにが工夫しなさいだ。いいか、ロボットは敵だ。スキをみて打ち壊してしまえばいいんだ。おれにはできなかったが、おまえならできる」

タ「ぼく学んだよ、お父さんから。反面としてね。きちんと工夫して仕事する。ロボットより上の人間になるんだ。いまならまだ間に合う」

係「タカシ、おまえ…」

(あもうりんぺい)

創造的なんだけど

研究者「先生、私の研究、続けてもいいんですよね」

先生「それが難しくなってきた。上の人たちがストップをかけているんだ」

研「なぜですか。私はこの研究で、病気の人を助けたいんです」

先「いいかヤスコくん。自分の力を過信してはいけない。たしかに日本の研究者は優秀だ。だがそれはノーベル賞に近いような超一流の人たちであって、数はひと握りなんだ。私たち中堅の能力は、実は低い」

研「え、どうしてですか」

先「一流の研究者には、国によらず共通性がある。ずばぬけた創造性と生真面目さが一緒にあるところだ。ところが中堅になると国の違いがある。欧米の中堅は、創造的だけれども、いい加減な人が多い。私たちは、創造性がなくて生真面目だ」

研「私も、ですか」

先「ああ。日本人だって創造的なんだけど、それが発揮できていない。無理もないだろう。教科書に書いてあることが正しくて、それを憶えなさい、と言われ続けてきたんだ。議論したり、自分で考え抜いたりといった教育を受けてきた人たちとは違う」

研「海外の研究者って、とんでもない発想を平気で論文にしたりしますよね。実証なんてほとんど抜きで。そのへん日本だと、まず教授陣が硬い…」

先「日本では正確さにこだわるから、ユニークな研究は査読で落とされる。世の中にないものを創り出そうとしているのに、前例主義みたいな物差しを当てられてしまう。私たち中堅に、創造的な研究ができるなんて思わないことだ。そのかわり、給料をもらって目立たず生きていくことができる。恵まれた立場を大切にしないとな」

研「でも先生。私はどうしても病気の人の役に立ちたいんです。もうすぐ、研究が完成するんですよ」

先「ヤスコくん、はっきり言って君の研究手法はかなりズサンだ。大きいことを任せるには心もとない」

研「それは認めます。まだ勉強中ですし」

先「もうひとつ言っておこう。研究成果があまり役に立ちすぎるのも良くない。どこかから圧力がかかってくることがある。病気がなかなか治らないから、それで得する人たちもいるんだよ」

研「なんのお話ですか。まったく意味がわかりません」

先「言っても無駄なようだな。どうしても考えを変えないなら、ひとつ方法がある」

研「なんでしょう」

先「私たちの研究所ではいま、文科省の予算を取るために、すこし注目を浴びたいと思っている。客寄せパンダみたいな研究が必要なんだ。君の研究をそれにあてるといえば、上のほうも納得するかもしれない。見たところ顔もパンダに似ているしな」

研「よくわからないけど、それでやらせてください」

先「ああ。だがしばらくは、はっきりした成果は出すな。研究の世界では注目される必要があるが、世間一般では目立ちすぎるな。暴走してはいけない。わかったね」

研「わか…りました。暴走…ですか」

(この物語はフィクションである)

(あもうりんぺい)