空から玉が

っはいっ! っこちら現場ですっ!

正体不明の巨大な玉の現場です! 鏡のような金色の肌で、ちょうどクリスマスツリーにぶらさげる、まん丸いオーナメント。あれがごらんのように、東京ドームほどの大きさで目の前にあります。

気象観測レーダーによると、突然上空に出現して、静かに降りてきたとのことです。現場は住宅地のはずれで、山林と野原の真ん中だったので、とくに被害は見当たりません。正体はなんなのか、危険はあるのか、まったくわかっていません。

早朝のため人通りが少なかったのも幸いです。警察が周囲を囲って立ち入りを規制しました。科学捜査班は手のつけどころがないようで、遠巻きに眺めています。自衛隊の到着は遅れている模様です。

「スタジオですスタジオです。自衛隊は当直の士長が寝坊をして勤務に入っていなかったため、まだ出動準備中のようです。官邸では対策本部の設置を急いでいますが、首相が海外でゴルフ中のためこれも遅れています。
…いま外電から首相のコメントが入りました。『なに、玉ァ? こっちはゴルフのタマを追いかけるんで精一杯なんだよ』
現場どうぞ」

…はい、世の中は混乱しているようですね。こちらはときどき警察のハンドメガホンの声がするだけで、静かです。

逃げ遅れた人が何人か、まだ周囲にいるようなのでインタビューしてみます。まずそちらのビジネスマン風の方から。玉が降りてくるところは目撃されましたか?

「いや、えらいことです。当社のお客さまに被害がないか心配で見にきました。このへんに何軒もあるんでね。とりあえず大丈夫だったようですが、目に見えない放射線とか、なにがあるかわかりませんから」

ありがとうございます。ではこちらの方、この物体はなんだと思われますか。

「いや、えらいことです。これはチャンスですよ。どえらいチャンス」

はい、どんなチャンスなんでしょう。

「どんなって、それはこれから…。とにかくチャンスなんだチャンス。…あ、こんなこと言ってるとライバル社に抜かれちゃう。社に戻ってなんとかしないと。オレんところカットしといて、な!」

カットって、ナマ中継なんですけど…ああ、行ってしまわれました。

もうお一方、聞いてみます。なにか呆然とされているようですが、大丈夫ですか。

「いや、えらいことです。これ、ウチの会社の責任じゃないですよね。いや、絶対違う。なんにもしていないし、関係ないんだから。責任ないです。自分の、…いやぜったい自分の責任じゃない。もしかしたらウチの会社の責任かもしれないけど、自分は責任ないです。なんなら弁護士、立てますから」

そうですか。お大事になさってください。

ああっ! あんなところに、小学生ぐらいの女の子が体育座りしています! 恐怖で固まってしまったんでしょうか。とにかく急いで、急いで行ってみます。

…ハッ、息が…ハッハッ…
きみ、ここは危険だ! 早く避難しないと。

ん、絵を、彼女はこの情景をハッ絵に描いているようですハッ。
なぜ絵を?

「だって、きれいじゃん」

きれい? ちょっとみせてくれる? さっきスマホで撮っている子はいましたが、絵は初めてです。ノートにモノクロームで描かれています。

「シャーペンしか持ってなかったし」

おお、くっきりした真球に空と雲が映りこんで。下のほうは木立ちが黒々と。金色の肌と空の青の色が、色までが、モノクロームの画面から浮き出てくるようです。すばらしい。端っこにお花とネコとうさぎちゃんが描き添えてありますが、ここだけは現実と違います。

私、振り向いてみます。この景色自体、美しいことに初めて気づきました。朝の透明な空気の中、正体不明の玉が神々しい姿で屹立しています。これはいったい。

あ、いや、そんなことを言っている場合ではありません。きみ、どうもありがとう。それをしまって早く学校か家か、とにかく遠いところへ行きなさい。早く!

っ以上っ、現場でしたっ!

(あもうりんぺい)

人財活用07-個人と組織のスキルマッチング

ハイタッチは爽快だ。ノリとタイミング。相手とぴったり合った呼吸。働いている人がみんな《仕事》にハイタッチできると、それだけで組織は明るい。だが空振りのハイタッチは寂しい。そうなっていないか。

以下の状態にある組織も目につく。
・組織の要求する能力と、個人の持つ能力がマッチしていない。
・マッチしているかどうかもわかっていない。
・その前提として、スキルの可視化ができていない。

もしこの状態を認識できれば、それは大きなチャンスになる。まずはマッチングの状況を可視化してみよう。ここではOPスキルマトリクス(Organization-Personnel Skill Matrix)と名づけたツールを使う。

■1人の個人と組織のマッチング

表は「新規事業会社Xの立ち上げと運営」というプロジェクトを例にしている。プロジェクトごとにスキルの明細は大幅に違う。例はすこし簡略化している。実際はさらに詳細化し、かつプロジェクトの使命に特化した具体的なスキル項目を設定することが望ましい。

single-OPmtx
OPスキルマトリクス(1)

表(1)は組織の1個人(”b”という個人IDを持つ)と、組織要求スキルとの対応を示す。上側が組織の使命に即した要求スキル。下側が個人の保有スキルと将来取得を希望するスキルである。

保有スキルは、ここでは0(無記入)〜5の6段階としている。この数値は管理者による考課や自己採点等をあてる。前回「能力を探す旅」で触れたように、表面的な認識にとどめず、深く採掘するほど精度が高まる。

スキルの種類をⅠ〜Ⅷで表す。
そのうちⅠ〜Ⅴが現在(例では事業立ち上げ時)要求されるスキル。Ⅳ〜Ⅷが将来(例では事業運営時)要求されるスキル。ⅣとⅤが両者で重複しているという想定である。

これによってマッチング状況をあぶり出し、さらに本人希望や周辺の事情を勘案したうえで、現在と将来への個人への使命配賦の最適化を図る。

■集団と組織のマッチング

full-OPmtx
OPスキルマトリクス(2)

表(2)は表(1)を集計してチーム全体を記載したもの。縦軸に個人(”a”〜”f”というIDを持つ)を配列している。横軸は表(1)と同じである。主に各個人と使命との間をとりもって、最適な配賦を図るために使う。

個人ごとに、現在保有スキルと将来希望スキルを足し算して「総合スコア」を出す。これによって個人ごとにスキルの軸足がどこにあるかを確認し、将来像を把握する。個人の育成などに活かしていく。

■OPスキルマトリクスの効果

OPスキルマトリクスは、さまざまな手がかりを与えてくれる。
・最適な使命配賦の物差しにする。
・使命に適した個人がいることを見過ごしてしまうことを防ぐ。
(→この効果は案外大きい)
・組織として手薄なスキルをあぶり出し、育成計画等につなぐ。
・マッチングによって従業者個人の満足度を上げる。

ただしこのメソッドは補助手段に過ぎない。データを頭に入れて、管理者が判断することに変わりはない。ただその過程の一部を可視化し、思考の便宜を図っただけのものだ。

くれぐれも、計算値を機械的にあてはめて最終判断を出してしまうようなことは避け、管理者の知恵を注ぎこみたい。働く人が気持ちよく仕事にハイタッチできるように。

(あもうりんぺい)

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人財活用06-能力を探す旅

能力は、座っているだけでは手に入らない。旅に出て探すぐらい本気にならないと。そのときに《小さな地図》が役立つかもしれない。

■能力を獲得するための4つの方法

組織や個人が、能力(技術・知見・技能=スキル)を高めるには、どんな方法があって、どう活用したらいいのか。

いつものように、世間とはすこし違う切り口から入る。能力獲得の小さな地図、デミマップ(DeMiMaP)の語呂合わせで考えよう。

De (Development) 開発
Mi (Mining) 採掘
Ma (Matching) 結合
P (Procurement) 調達

■能力を開発する (Development)

能力開発については世間で膨大な情報がある。まだ語らなければならないことも多い。ここでは、よく使われる《OJT》ということばに注目しよう。「能力開発ですか。ウチはOJTでやっています」などと。

だが考えてほしい。座学や外部研修といったOff-JTに割くことができる時間は、すべての就業時間のせいぜい1%未満だろう。残りの99%は仕事中の時間だ。余暇時間以外に本気で能力を開発しようと思ったら、そこに学びの要素を乗せていくほかはない。

ほとんどの能力開発はOJTだ。とすれば、「OJTをやっている」とだけ騒ぐのは無意味。どれだけ無理なく効果的に、職場風土に染み渡った形でOJTをやっているかと騒ぐのは意味がある。このシリーズでも方法論を語ることにする。

■埋もれている能力を掘り出す (Mining)

これは開発の一種ともいえるが、あえて切り出したほうがいい。それだけ大切だからだ。ふたつのアプローチがある。

(1)組織に埋もれている能力を掘り出す
「厳密な職務定義のもとに、それに合致した人財を採用しました」といった場面を見たことがあるだろうか。諸外国では普通でも、わが国ではそうではない。新卒一括採用で入ってきた者たちは、もっとあいまいな、なんとなくデキそうだという理由で選ばれている。

だからこそ、履歴書ではわからないスキルを持ちながらも、それが感知されず活かされていない、ということが起こりうる。キャリアの棚卸、スキル申告、さまざまな方法を使って掘り出す必要がある。

(2)個人の中に埋もれている能力を掘り出す
スキル申告で表沙汰にできるのは、本人が自覚している能力だけだ。気づいていない能力というのも実はあって、これのほうがずっとやっかいだ。

個人スキルの発掘に特化したワークショップやセミナー、個人への日ごろからのウォッチングと対話、啓発。それらが意図的にできれば、組織としてのパフォーマンスはやがて大きく変わってくるだろう。

■能力を組織の使命とマッチさせる (Matching)

せっかく開発した、または発掘した能力も、仕事内容とミスマッチを起こせば効果は大幅にダウンする。組織の要求スキルと個人の保有スキルを突き合わせる作業が必要になる。

分析の対象は以下の4つの象限だ。このマトリクス(スキルマップ)は次号でくわしく触れる。

・組織として現在要求するスキル、将来要求するスキル
・個人の現在保有スキル、将来取得を希望するスキル

これを可視化すると、個人への担当割りや使命の配賦が的確にできるようになる。さらに組織のどのあたりの能力が手薄か。それをあぶり出すことにもなる。

■調達する (Procurement)

上記であぶり出された能力の不足分は、《開発》や《採掘》でも補うことができる。だが即効性でいうと《調達》の出番だ。社員の補充採用、派遣受け入れ、業務委託などがこれに当たる。

派遣や委託を使って好都合なのは、原則として《ノンコア業務》だ。組織にとって本来的な目的達成手段が《コア業務》。そこに安易に外部資源を使うと、長い目でみて競争力が低下したり、業務が空洞化したりする。

そんなことは当然とわかっていながら、あちこちの企業で業務の空洞化が進んでいる。これにはいろいろな原因があるが、コア・ノンコアの切り分けひとつとっても、実は深い判断を必要としているのだ。

いままで述べてきた《能力のDeMiMaP》。この4つを並行して使いこなすことが人財能力獲得の早道になる。バランスよい目配りが効果的だ。

DeMiMaPとは、ことばの意味として「半欠けの地図」のことであった。あと半分の地図があって初めて、宝探しは完結する。その半分に描かれているものとは?

それは《能力の獲得》を強力にサポートする《使命》と《意欲》だ。

(あもうりんぺい)

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だれが会社を思うのか ― シャープへの支援と統治

だれが会社を真剣に思っているのだろうか。その幸せと行く末を。シャープがホンハイ(鴻海)精密工業の傘下入りする方針を固めた。どのような形態にせよ、あらたな門出が近づいているわけで、陰ながら関係者の方々にはエールを送りたい。

とはいえ、申しわけないけれど心は晴れない。「会社は何でできているか」で示した悪い予感が当たりつつあるからだ。

■財務状況から、シャープは「買い」だ

15年3月期の自己資本比率は2%未満に急落しており、黙っていれば債務超過に陥る勢いだ。(後述する資金注入で現在8%程度に回復。)一方で有利子負債の絶対額は1兆円未満と巨額ではなく、この数年間で増えているわけでもない。むしろ13年から15年にかけて漸減しているぐらいだ。

ここで数千億円の資本増強をすれば、財務の指標は一気に明るくなる。バランスシートを見る限り、差し迫って負債を減らす必要はなく、資本増強しても借金払いでロスすることはない。大きな減損や特損の予兆もない。資本増強分は構造改革に充てる部分もあろうが、大部分を成長投資に振り向けることで、再生を果たせる可能性が高い。

それには三つ、要件がある。

ひとつめは、いままでの経営陣と経営手法をすっかり塗り替えることだ。2015年にファンドから優先株によって2000億円の資金を注入したが、業績の急落は止まっていない。現経営陣による事業再建はもう無理という証左だ。筆者にはこの2000億円が、現経営陣の経営能力の最後の(負の)証明、一種の手切れ金と映っている。

ふたつめ、いままで作り溜めた技術のシーズを一気にマネタイズ、現金化することだ。シャープには液晶の「IGZO」を始めとして、どこにもない独自の技術がぎっしり詰まっている。これをセールスできる能力が根本的になかったのを、刷新する必要がある。

三つめは、社会との良好な関係を結び続け、従業員が意欲と使命感をもっって働き続けられるように環境を整えることだ。これはいまに始まった話ではなく、シャープだけの問題でもない。普遍的な課題だからこそ、この変化の節目に考えなおしておかなければならない。

■経営陣温存という麻薬

今回の決定に至る前、産業革新機構とホンハイがシャープ支援策を提案しており、争奪戦といった様相だった。

革新機構:支援額3000億円プラス銀行からの支援引き出し。
ホンハイ:支援額6000億円規模。

この金額の差によってシャープ取締役会と銀行各行がホンハイ提案に惹かれたという筋書きが語られている。銀行としては、そろそろ回収にかかりたい。シャープにリスクマネーを積み増すよりも、、ホンハイからの潤沢な資金で事業再生するのを高みから見物したほうがいいという判断だろう。

ここでもうひとつ、両案には大事な差異がある。

現経営陣につき、革新機構は「退任を求める」、ホンハイは「退任を求めない」ことを支援の条件としている点だ。

■戦犯が裁判官

シャープ取締役会の構成を見てみよう。(一部カウントが不正確かもしれないが、大要は間違いない。)

取締役13人のうち社長・会長を含む8人が社内からの生え抜きで、うち会長を除く7人が執行役員を《現状で》兼務している。一方で5人が社外取締役。そのうち2人がファンド(JIS )からの派遣。

昨今の風潮を受けてバランスを取った結果と主張できるかもしれない。外部大手の経営経験者や弁護士が入って入れば、監視や助言で取締役会としての機能が果たせるだろう。しかしそれは平時の話であり、今回のような事態では別だ。

取締役会の過半数が現役の執行役員で、ここまで業績悪化させた直接の責任を持つ。それが「経営陣の退任を求めない」というホンハイ案のほうを、お手盛りで採択した。会社法では「決議について特別の利害関係を有する取締役は取締役会の決議に参加できない」としているが、今回の案件ではまさか執行役員兼務者を外した決議などしているわけもないだろう。

「現経営陣の温存」、この一点だけ取っても、経営者としての矜持を問うのに十分だ。

■どうなるのか

ホンハイは過酷労働や過剰な利益追求で、とかく風評のある会社だ。(風評だけであってほしいと願っている。従業員のために。)以下のシナリオに従っていくだろう。

ホンハイはシャープの技術を基に製品を生産し、巨利を手にする。その過程では、先述「技術シーズのマネタイズ」はうまくいくだろう。ホンハイは株式取得で資本注入し経営権を得る。バランスシートで見たように、経営再建さえすれば、出資者の損失はなにもない。圧倒的な安値で将来の巨大なキャッシュフローを手に入れた、ということになる。

シャープ本体は、しばらくは現状の体裁を保ち、内部から技術が親会社に移転されていく。そのうちに機をみて、事業ごとに切り刻まれ、一部は台湾や中国に合流し、一部は捨てられる。

「退任させない」とされた現経営陣は、すぐに実権から遠ざかり、やがてはすべて駆逐される。ホンハイのようなドライな経営方針の下で、そもそも現経営陣は通用しないし、ホンハイ側としてもいつまでも養っていく気持ちもないだろう。そうなったら、筆者が指摘した「経営の塗り替え」は皮肉にも実現してしまうことになる。

日本の技術立国が大きくゆらぎ、凋落していく。シャープ案件だけが凋落の原因ではないが、今回案件はシャープだけの問題でもない。技術を育てるだけ育て、それを活用できず、勝手に会社を傾かせる。経営者は無傷で、人と技術だけをタダ同然で売り渡す。これで技術の伝統が維持できるはずはない。

筆者が指摘した業績回復のための三つの要件のうちふたつはホンハイ傘下でも実現していくだろう。問題は最後の要件だ。中長期志向と全体最適、社会厚生。いま見たように、十分な実現はおぼつかない。

筆者はナショナリズムでこれを言うのではない。現経営陣が最後まで保身を図り、人と技術を犠牲にした。これを企業統治の問題として見過ごすわけにはいかないと言っているだけだ。

だれが会社を真剣に思っているのだろうか。その幸せと行く末を。内部の者、外部の者、関係する社会のすべてが思っていると信じたい。

(あもうりんぺい)

不都合な伝染病

司令官「なあ佐官」

佐官「なんですか司令官」

司「われわれは、この星を壊して乗っ取るんだよな」

佐「もちろんそうです」

司「といってもこの文明を物理的に破壊するのはたいへんだし、あとで再利用しにくくなる。支配種族の精神だけを壊して、そいつらを滅ぼしてしまおうというわけだ」

佐「わざとらしい説明ですが、そのとおりですね」

司「計画は着々と進んでいる。星の支配種族である《ヒト》の精神は、だいたいがスサんでいるし、イラついているし、あちこちで殺し合いが派手になってる。こういうのをどんどん煽らないとな」

佐「そうですね。そこでちょっとこの《どこでもテレビ》を見てください。ぐーんとクローズアップしていきます」

司「星のずいぶん端っこの、シブヤやフクシマがある地域だな」

佐「たとえばこのエレベータの乗り方です」

司「エレベータ? 急に地味になったぞ」

佐「この地域では、殺し合いがあまりないですから。そのかわりイジメや虐待があるので、このつぎから観測しますけどね」

司「なるほど。ところでこのエレベータ、歩道橋に上がるためのものだな。入口と出口がそれぞれ反対の側についている」

佐「いま《ヒト》がひとり入りました。もうひとり入ろうとしているところへ、先に入った者が、振り向きもせず、さっさと《閉じる》のボタンを押すものだから…」

司「おお、ドアにはさまって痛がっている。いい景色ではないか。ケンカでも起きればもっといいのだが」

佐「こんどは、たまたま操作盤の近くに立ったヒトを見てください。こいつは《開く》ボタンで開けたまま、降りるヒトをぜんぶ降ろして、最後に自分が降りています」

司「う、ひどい…まあこれはこれで、ときどきあるマナーなんだろうな。前にカイシャというものの中でこれをやっているのを見たし。しかたがないか」

佐「そんな中で平然と、そっくりかえったまま降りていく者がいます。知らないヒトがボタンを押して開けておいてくれるのに、ですよ。会釈もなく」

司「おお頼もしい。マナーのほころびは精神の崩れの前兆だ。もっとやれ! 地域に蔓延させるんだ!」

佐「同じ場所でほら。こんどは若いオスの二人組。ひとりはかなり太っており、もうひとりはタオルの鉢巻をしていますね。二人の服装は、現地では《建設労働者風》といわれています」

司「むさくるしい感じだ」

佐「エレベータが来るのを待って談笑中といったところですか。扉が開いて乗り込んでも、向き合って談笑が続きます」

司「あ、あとから中年のオスらしきヒトが乗りこんできた」

佐「ここからスローモーションに切り替えて、じっくり見ましょう。奥にいたデブは、あとから乗るヒトをしっかり目で認めて、手はいつのまにか《開く》ボタンに添えています」

司「…」

佐「ゴンドラが上がり切ったところです。こんどは鉢巻のほうが入口側の《開く》ボタンを押して身を引き、あとから乗ったヒトを先に通します」

司「な、なんなんだこれは」

佐「ええ、さっき見たのと似ていますがね。今回のこれがとくによくないのは、一連の動きが自然でスムーズ。気持ちの迷いがないし、二人の息も合っている。完全に慣れた行動らしいということです」

司「なんと恐ろしい」

佐「もっと恐ろしいものを見せてあげましょう。このビッグデータ解析です。さっきの建設労働者風のヒトのような行為なんですが。たとえば半径100メートル以内の場所で、こんな行為を平然とするヒトが何人か出てくる。するとこれが伝染するんです」

司「伝染?」

佐「ええ。何人かがこれをくりかえしやって、そのあとしばらくたつと、当たり前のようにこれをするヒトが増えている」

司「どうしてそんな伝染なんてことが?」

佐「よくわかりません。何人かがやると、それが当然だと思うのか。かれらの言葉でいう《クール》だと思ってマネするのか。それに口にするのも不気味ですが、《他人のためになる》し、そのへんかと」

司「うう、これは…エレベータ限定ならまだいい。だがこんな風潮があちこち広がりでもしたら、これはたいへんだ。精神を崩壊させるどころじゃなくなるぞ」

佐「じつはこの地域、以前は《乗り物で席を譲らない》ことでは優等生だったんですよ。ところが最近は変化があらわれてきて…」

司「譲るようになった?」

佐「すこしですが、そうです。こんなものがまた伝染してきたら…」

司「とてもまずいぞ」

佐「とてもまずいです」

(あもうりんぺい)