あけみくんの宝箱03-改善型監査

売り上げが激減して信用も落とした。原因は強引な営業と低い品質。それをあばき出すのが内部監査なんだ、とみんなが納得しかけたとき、玉川あけみが言いだす。

「すこし待ってください。なにかが足りない気がします」

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■03.改善型監査

「お客さまの信頼をなくすよりずっと前に、営業のしかたをチェックしていたら、どうなんでしょう」

視線の集中砲火を浴びながらも、玉川あけみの声は落ち着いて明るい。

「短期利益、っていうんでしたっけ。そればかり追いかけているようだとか、仕入れた製品の質が落ちているとか。それがわかったら、すぐに知らせてあげる。本人にもまわりにも。そうして悪いところを直していけば、だれも傷つかずにすんだんじゃないかと思います。

それにみんなが《悪い部長》っていうけれど、そんなに悪い人だったのかな。その部長さんだって、成績が上がってくれば、もっと上げたくなってがんばってしまうし、まわりから注意してもらえないと、ついつい深みにはまる。そんなこともあったんではないでしょうか」

一気に言ってしまうと、彼女はちょっと首をすくめるような動作をした。みんな納得して軽くうなずいている。ただ部長の越谷だけは、彼女が話しているうちから妙にそわそわしていた。

◇摘発型監査と改善型監査

「あの、ほんとにそうだよ、あけみくん。じつにそのとおりで、だからすこし話の順序を間違えていたみたいだ。社長が、じゃなくて、そういうことなんだ」

わけのわからないことをしゃべりながら、越谷はボードに向き、悪い部長のエリアの下に「摘発型監査」と書き入れた。

「不正を見つけ出すためにやる監査を摘発型の監査という。だが、いまどきこれはハヤらない。やらなければならんときは、やらなければならんが、劇薬みたいなもんで、悪い影響も多い。

いま世間の流れは、改善型とか助言型とかいわれる監査だ。予防型の監査というのも、だいたい似ている。ちょうどあけみくんが言ってくれたのが、それに当たる。悪くなる前にその芽をみつけて、改善するためにやるんだ」

「改善型(予防型)監査」と書き加える。「これが大切だし、先に話をしなければならなかったんだよね」

◇社長が与えた使命

「越谷さん、この話って、社長から聞いてきたんですよね」ガサツだけどカンがいい上野が質問した。
「そ、そうだが」
「悪い部長の話もなにもかも、ですよね」
「そうだよ。きのう社長に呼ばれて、新しい監査部について話を聞いたんだ。どんな方針でやっていくとかね。ぜんぶ社長に伝授された話だ」

開き直った口調である。越谷という人間を多少は知っている目黒と上野は、思わず顔を見合わせた。(最初からそう言えばいいのに。変に受け売りばかりで、知ったかぶりなんてして、もう)と顔で語りあっていた。

「内部監査のカケラぐらいはわかったと思う。まだ教えることはあるが、内部監査部の活動について一気に結論を言おう。《内部監査で会社をよくすること》。これが社長の求めている、われわれの使命だ」

◇準備のための期間

「なんか抽象的だし、ピンとこないなあ…」上野が独り言のようにつぶやく。だが目黒は、さっきの悪い部長の話と、玉川あけみの発言を重ね合わせて、これから自分たちが取り組むことが、おぼろげにわかってきたような気がしていた。

それともうひとつ、さっきから出ている「品質」という言葉に、なにか焦げ臭いような感覚がある。目黒にとってつい最近の、だが思い出したくない記憶だ。

越谷が宣言する。「さっそくやるべきことは、内部監査の準備作業。活動方針や具体的な方法を組み立てるんだ。そのために与えられた期間は1カ月」
「1カ月!?」上野が飛び上がった。

「30日ですか…3日の間違いじゃないんですか。だいたい、監査のやり方なんて本に書いてあるでしょう。それをみんなで読んで、はい終わりだ。
じっさいどうやるか、いまは見当つかないけど、明日かあさってにはその監査とやらに出かけられますよ、本が一冊あれば。あと必要なものはなんですか。リュックサック? 懐中電灯? トンカチも?」

「なかなかそうはいかないんだよ。この会社がいまどんな状況で、なにが悩みで、だからどういった目のつけどころで監査をやっていくか、下調べが必要なんだ。そんなことは本に書いていない。

もうひとつ、みんなはいまシロウトだ。だがずっとシロウトでは給料をもらうわけにいかない。給料ぶん働くために、いや少なくとも現場に迷惑かけないために、監査の段取りもしっかり考えておくことだ。細かい監査の技術は、やりながら学んでいくにしても、だね」

「わかりましたが、なぜそれが1カ月なんでしょう」こんどは目黒が尋ねる。
「まあ、いろいろ都合もあるんだろう」

上野は納得していない様子だ。「…準備に1カ月だなんて悠長な。営業のやつらはみんな言ってますよ。管理部門は10分の1のスロー再生だって」

◇だれにも頼れない

「あの、部長」
「なんだね目黒くん」
「その調査とか段取りとかって、コンサルに頼むようなことじゃないでしょうか」

目黒のいた技術部では、新しいプロジェクトを立ち上げるときや機械装置を大幅にリニューアルするとき、よく外部の専門家をコンサルタントとして招いていた。

「うん。準備から立ち上げまでぜんぶ、外部に指導してもらうのが普通かもしれない。だがな、今回はそれができない。社長がコンサルは頼むなと言っている」
「え、そんな…。どうして?なに考えてるんですか」と上野。
「内部監査協会のような専門機関にも、当面は出入り禁止だそうだ」

「コンサル料をケチって、研修費もケチって。社長ってそんなにシミッタレだったんですか」上野が食い下がる。
「そういうつもりではないと思うんだが。まあ、いろいろ都合もあるんだろう」
「あ、それにたしか社長はコンサル出身でしたよね」

田端社長は、その道ではすこし名の知れた経営コンサルタントだった。それが《中堅の素材メーカーのトップに》と、半年前の社長就任時にネットのニュースで報道されたし、社内でも話題になっていた。

「だからこそ、なにか考えがあるんだろう。1カ月かけて自分たちだけで立ち上げるように。これが社長の指示だ」

◇長いのか短いのか1カ月

窓の外は日が中天にかかり、塀越しに遠くの木立ちが明るい。越谷は、しめくくるような口調で言った。
「わたしはこれから本社の部長会に出てくる。その中で一言だけ、監査部が発足した報告もしておく必要がある。頼もしそうな部下ばかりで幸せですと言っておこう」
上野は(頼もしくて悪かったですね)といった顔をしている。

「あ、そうだ」去りぎわに越谷が続ける。「上野くんが言っていた、監査に必要な道具。リュックサックやトンカチはあまり使わないようだが、懐中電灯、というのは案外ヒットかもしれないね」

「え、どういうことですか」
「そのうちに教えるから、じっくり考えておくことだ。それからきみたち、ネットでキーワードでも漁っておきなさい。内部監査の《定義》とか《目的》とか、硬い話も仕入れておかなければな。それじゃ」

越谷が去ったあと、残った3人は首を寄せあって話をした。あの頼りなさそうな部長がリーダーで、ほんとに大丈夫なんだろうか。なにかつっこんでも「まあ、いろいろ都合もあるんだろう」しか言わないし。
でもぼくらのほうがもっと頼りないのが、そもそもまずいわけだし。1カ月なんて長い間、おれたちなにするんだ。いや、ぼくはみじかすぎてたいへんな気もする。などなど。

◇懐中電灯

ふと上野がつぶやく。「監査に懐中電灯を使う、ってなんだろう」
「機械の裏とか、倉庫の奥とか、照らして調べる、ってことかな」と目黒。
「いや、そんな単純な話じゃないぞ」「なにか、たとえ話みたいな気がします」上野と玉川あけみが同時に応答した。

「越谷さんもわけがわかっていない、と見たね。たぶん社長にナゾかけられて、まだ答えをもらっていないんだ」おおざっぱなくせに勘ぐりマンの上野が言い放った。

「くちびるの左わきがすこし引きつっていたろ。知ったかぶりやハッタリをするときの、あの人のクセだ。それに今朝、ドアの前で集まったときもさ。わざとみんなが揃うのを待って、バルコニーから登場! って、まさかだけどカッコいいつもり?」
「いや、非常階段からだったが…」目黒が訂正する。

小さな吐息とともに、推定年齢24歳の玉川あけみの声が聞こえた。「越谷部長って、わかりやすい人なんですね…」

 

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(天生臨平)

あけみくんの宝箱02-悪い部長といい部長

「監査部」ができた日。部長の越谷は3人の部員に、内部監査について説明を始める。一夜漬けで仕入れた知識かもしれない。「内部監査は会社がうまくまわっているかを確認する仕事。といっても売り上げや利益は経営陣もよく見ている…」

◇前回の疑問
どうやって売り上げをあげているのか。細かい手段は、当の営業部だけが知っている。それでいいのか。

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■02.悪い部長といい部長

「仮に、ばりばりと成績を上げる営業部長がいたとしよう。それが評価されて、さっさと役員になった。ところがあとに座った営業部長のもとでは、じりじりと成績が下がっていった」

意見を求めるように、越谷は言葉を切った。上野が応じる。
「やっぱりねえ、その前のほうの部長さんは優秀だったんだ。あとの部長さんをまた変えるとか、がんばってもらうとか、なんとかしないと」

「ところが、だ。いろいろ調べてみると、新しい部長のやり方に問題はなかった。新規顧客をていねいに開拓したり、お客さまの信頼を取り戻したりして、営業の体質をよくしていたんだ」

「お客さまの信頼を取り戻した、って…?」
「そう。前の部長がこわしていった、お客さまの信頼をだ。前の部長の営業のやり方はこうだ。できもしない約束を連発して、強引に契約を取ってくる。しぶる顧客には、リベートやコネや、相手の弱みまでもちらつかせて、1回だけでいいからこの値段で買ってくれと迫る」

◇手抜き製品と強引営業

「そのおかげで、営業成績バツグンですか」目黒は、ため息と一緒につぶやく。

「ああ。仕入れは仕入れで、下請けをたたいて手抜きの製品を作らせる。使ってみると不具合がぽろぽろ出るが、しかし安くできる。これで儲からないはずがない」

「でも、それで儲かるのは短い間だけですよね」玉川あけみも口を開いた。
「そのとおりだよ」越谷の言葉に力が入った。

越谷は立ち上がると、ホワイトボードに「前の部長 強引な営業 低い品質 顧客不満足 短期利益」と書いた。
その右には「あとの部長 誠実な営業 高い品質 顧客満足 長期的な利益」と対応した位置に書き足して、「短期利益」「長期的な利益」を赤いマーカーで囲った。

◇短期利益の追求

「ここが大事なところだ。前の部長は短期利益を追っかけて、顧客の信頼を徹底的にくずした。といってもクレームがやたらと吹き出てこないぐらいに、上手にやったので発見が遅れたんだ。痛い目にあった顧客はもう二度と取り引きをしようと思わない。そのせいで、あとの部長になってからじわじわと売り上げが下がった。前の部長はうまく売り抜けたわけだ」

「で、どうなったんですか。あとの部長が気の毒になってきました」
「あぶなく、あとの部長が左遷されるところだった。幸いに過去からいままでの営業のやり方をぜんぶ調べて、あとの部長が悪くない、いやとてもいいことをしていると、みんなが理解したんだ」

越谷は続ける。
「前の部長は役員になっていたが、その件ですぐに処分されたりはしなかった。まあ、いろいろ都合もあったんだろう。
だがみんなが注意して見ていると、しだいに化けの皮がはがれて、誠実じゃない人だということがわかってくる。そのうちに会社を去ることになってしまった」

◇だれが見つけたのか

「よかった…」
「めでたしめでたしですね」
「でも、よくありそうな話ですけど」
「本当にあった話だが、当社じゃない、よその会社のことなんだ。ところで過去からいままでの営業のやり方をぜんぶ調べて部長の濡れ衣を晴らしたのは、だれだと思う?」

越谷は、すこし上目づかいにぐるりと首をまわして部下の全員を、(3人だけだが)見回した。
部下たちは無言できょとんとした表情をしている。
そのうちに「だれが、って言ってもなあ」「登場人物、少ないし」などという声があがりはじめる。

「わからないのか…」越谷は声を落とした。「いまわれわれは、なんの話をしていたんだ」
「悪い部長といい部長の話」
目黒のとても素直な声に、越谷はますます肩を落とした。

◇悪い部長はどうなった

「あ、わかった!」上野が声をはりあげた。「よその会社の話なんすよね。そして悪い部長は、役員になったけれども、結局は会社を去ってしまう」

越谷の目にすこし希望の光がともる。上野は続ける。
「そんなに詳しい話を知っていて、そしていまはその会社にいない人。ずばり、越谷部長が悪い部長だったんだ!」

越谷は、もうワタクシ、宇宙人にさらわれて別の惑星に行ってしまいたい、といった表情で、思いきり頭をかきむしった。越谷の頭髪はだいぶ寂しくなっている。いいのか。
「勝手に話を作るな! 聞きたいのは、だ、れ、が、どんな立場の人が、悪い部長の悪さをあばいたんだ、ってことだ!」

「それが内部監査、ですか」玉川あけみがつぶやく。

「…そう、そのとおりだ…」越谷は低く応答すると、そのままずるずると腰を落とし、イスにかけた。顔には、ようやく正解が出てきたという安堵が2割、これからこんな連中と一緒に仕事をしなけりゃいかんのかという落胆と不安が8割、といった表情が浮かんでいた。

◇監査は告げ口?

すこし気をとりなおしたか、越谷はホワイトボードの、いい部長の列と悪い部長の列の中間に大きく「業務の適正」「内部監査」と書き入れた。
「内部監査は、業務の適正さを確認する。そうやって、長い目でみて《いい会社》にしていくんだ。
そのためには《どう営業しているか》を営業部だけが知っているのではだめで、内部監査人が業務の実態をしっかり見にいくことが必要なんだね」

「はい部長、質問です」上野が手を上げる。「役員になっている悪い部長に向かって、あんたが悪いんだ、って監査の人が言ったんですよね」
「そういうことになる。正確には、内部監査人は社長に報告したんだが」

「チクリじゃないすか。そんなことして、悪い部長ににらまれたりしたら困るでしょ。悪い部長は役員にまでなっちゃったというし、その監査人て、あとあといじめられるんじゃ?」上野はガサツなようでいて、営業出身だけあって人間関係には気がまわるらしい。

「部長、実際どうだったんですか。監査の結果を聞いて、うらんだりしませんでしたか?」
「だからわたしじゃないっ! 別の会社の別の部長のことだ!」

◇まずいことが起こったときの監査

越谷はすこし呼吸を整えてから続けた。
「それに告げ口ではない。正式な手続きを経て、証拠に基づいて出した結論だ」
越谷の口調が真剣さを帯びてくる。

「監査をやっていれば、たまにはうらまれることもあるかもしれない。しかし営業だって技術だって、体を張ってがんばっている、ということは君たちがいちばんよく知っているはずだ。監査だけ安全なところにいちゃ、いけない」
最後は自信たっぷりにしめくくる。

「そうだよな、悪い部長はこらしめてやらないとな」「ああ、なんたって悪い部長というぐらいだからな」上野と目黒が、たがいにうなずきあう。
「内部監査って、つまりそういうことだったんだ」「まずいことが起こったら、そこへ入っていけばいいんだ。そこでなにが起きたのかって調べればいい」「これならできそうだぞ、内部監査」
しきりに納得する二人。

「すこし待ってください。なにかが足りない気がします」

玉川あけみの声だ。なにが足りない? と疑問をもって、みんないっせいに彼女の顔を見る。

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(あもうりんぺい)

あけみくんの宝箱01-乗り込んだ船

いきなり指名され、1カ月間で「内部監査」を立ち上げるよう命じられた4人の部員。外部の指導に頼らず、自分たちだけでやりとげることが条件だ。リストラ予備軍として放置されたのか、期待されての抜擢なのか。不安をかかえたまま、内部監査をめぐる旅に出る。すると監査より手前で、会社にはある問題が横たわっていることを知る…

真っ暗な中にハンドライトの光が筋になっている。間仕切りも廊下もない巨大な空間だ。あちこちに積み上がった木箱や紙箱。むき出しの書類や機械装置もある。先頭に立つ自分と後ろの3人は、闇にはぐれないよう集団になって進んでいる。

ここはどこだ。なぜ室内照明がない。ぼくたちはなにを求めているんだ。

4人のうちのひとりの男が叫んだ。
「あれだ!」

見ると立派な木箱がある。内側からやわらかな光がもれ出しているようだ。内蔵された、なにか値打ちあるものが輝いているのかもしれない。蓋を開けにかかるが、びくともしない。もうこのあたりになると、これが夢なんだなと気づき始めている。目覚めの光が、どこか遠くのほうに感じられる。

「よし、箱ごと運び出そう」
一行の後尾にいた中年の男が指示する。かつぎ上げようとしたそのとき、4人のうちのひとりの女性が声をあげた。

「すこし待ってください。なにかが足りない気がします」

照らし出された彼女の視線を追うと、まわりの段ボール箱も書類も、いままで通り過ぎてきたすべてのものが、静かに光を放っているのがわかった。なにかの値打ちを秘めているかのように。

目覚めると、目黒恵太は朝の光の中にいた。初夏の透きとおった風が窓ガラスごしにも見通せる。ベッドを出てひとりぶんのコーヒーをいれながら、目黒は思った。

「よくわからない夢を見たもんだ。新しい部署に初めて出勤する日に。でもまあ、とくに縁起が悪い話でもないようだから、いいとするか」

■01.乗り込んだ船

工場の敷地だから、広くて緑も豊かだ。その奥のどんづまり、コンクリート塀のまぎわに、以前に研究棟として使っていた小ぶりな建物がある。4年ほど前にもっと大きな研究開発棟ができるまで、目黒はここに通っていた。

目指す建物の前には、営業部の上野のごつい顔と、なんといったか、最近入社した若い女性の顔が並んでいた。

おはようとか嫁さんはまだかとかオレにはもう無理などと言い合ううちに、ふと頭上から物音がした。見上げると、背にしていた建物の非常階段に人影がある。越谷(こしがや)だ。業務部長から、こんど監査部の部長になる。

「みんな揃ったな。ここがきみたちの新しい職場だ」
「部長、なんでそんなとこにいるんすか!」と上野が声をあげる。
「すこし早く着いたんでな。景色を眺めていたのだよ」
「なんか変なの…」と上野。

越谷は重々しい態度で非常階段の二階部分から降りてくると、電子番号錠を操作してドアを開ける。

カチリ。

静まった周囲に響く開錠音が、目黒たちの新しい旅の始まりだった。

◇監査部

建物入り口ドアのすぐ左わきにある小ぶりな部屋が、彼らに与えられたものだ。壁には40インチのモニターテレビがある。コピーの複合機とホワイトボード。

東と北に向かって大きな窓があり、部屋の半分が窓でできているような造りだ。そのふたつの窓が直角に隣りあっているので、船のへさきから海原を見ているような感じもする。

熊笹の茂みと水色の空が見通せる。塀の下には、手入れもしていないようなのに薄紫のキキョウや白いスイートピーも群生している。1階の残りの部屋と2階すべては倉庫として使っており、ひと気がなくて静まりかえっている。

あたりを見渡すと、すこし威儀を正して越谷部長が切り出した。
「監査部が発足しました。幸い、こんなに落ち着いた環境で仕事ができます。季節も新緑。みんな気合いを入れてがんばってください」
15度ほど頭を持ち上げ、大講堂でおおぜいの部員を前にして挨拶しているような態度だ。目の前には3人しかいないのだが。

◇監査とそろばん

「でまあ、さっそくだが仕事の話をしようか」
急にフランクな態度になって、あたりの空気がゆるんだ。部長に続いて3人もめいめいのデスクを前にして席につく。

「概要は聞いていると思うが」
「聞いていません」
「そうか。…内部監査って、知っているか」
「知りません」
軽くため息をつくと、部長は3人を順に見渡して
(私たち、そういうことはまったくなにも知りません)
と顔に書いてあるのを確認した。

「わたし、そろばん苦手です」
沈黙していた紅一点が初めて口を開いた。玉川あけみ、というんだったな。声を聞くと同時に目黒は思い出した。

越谷部長は、大きめに息を吸い込んだ。
「内部監査はね、数字を扱うだけではない。そろばん勘定も確認するが、それは会計士の先生も見ている。ほかに見るところがたくさんあるんだ」

視線が右上から左上に泳いで、口の端がかすかにひきつっている。昨夜あたり、にわか勉強で仕込んだ知識かもしれない。目黒は陰で人のことをあれこれ言うのは好きではないのだが、いつか「越谷部長ってよく勉強する人だけど、いまひとつ仕事に結びついていないのよねえ」とだれかが言っていたのを思い出した。

「きみたちにはその内部監査をやってもらう。専任でこれをやるのは当社として初めてだ」

◇どんな手段で売り上げたのか

「その内部監査ってすみません、まだわからないんですが。数字だけじゃないかも、ってことしか」と口数が多い上野。

「そうだったな。内部監査について説明しよう。これは、なんていうか会社の仕事がうまくまわっているかどうか、それを確かめる仕事だ」

「うまくまわっている? 売り上げとか利益ですか」
「それはみんな見ている。社長だって専務だって、株主さんだって売り上げや利益は大好きだ。みんながうるさくいうから、そのへんの監視は足りている。だがな、その売り上げをあげるのに、どんな手段を使ったか、それを見ている人は少ない」

「営業なら、営業の部長とか」
「そう。営業の部長は、営業を管理した本人、つまり当事者だ。当事者だけが知っていて、外にいる者は知らない。社長だって知らない。それが《どんな手段で売り上げをあげたか》、つまり業務の実態ってやつだ」

目黒も、わからないことがわいてきて口を開いた。「こんなふうに営業してます、ってときどき会議で報告していますよね。それ以上細かいことは、部長に任せているわけでしょ。営業部長だけが知っていればいいんじゃないですか」

「ふふん。いい質問だね」
越谷は、前足でネズミのしっぽをつかまえた猫のような顔をして、舌なめずりした。

ホワイトボードのまとめ。業務実態は営業部だけ知っていればいいのか?

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(あもうりんぺい)