バイトテロにおける三つの想像力(下)

 

前編はこちら

■ふだんあまり考えない「想像」というものがある

想像とはなにか。経験や体感のできないことに対し、手持ちの材料だけで像を組み立て、擬似的に経験し体感することだ。

経験できない事象とは:
・まだ到来していない未来
・自分の手で作りあげる未来(創造的な意味で)
・自分の行為で招いてしまう未来(悲惨な意味で)(1)
・異国や異世界、異分野
・その他、現場に立ち会えない数多くのこと

体感できない事象とは:
・他人の思い
・とくに役割や立場を異にする人たちの思いや価値観(2)
・他人の五感(見る聞く触れる嗅ぐ味わう)
・将来や忘却の中の自分の五感、思い

(1)がバイトテロリストの、(2)がそれを許してしまう管理者の、それぞれ足りないところだが、ほかにもこれだけある。並べてみると、生きていくのに想像力がいかに大事か見えてくる。たくましく生きるにも、やさしく生きるにも、その両方にだ。

想像力を育てる教育は、表だってはあまりない。へたに統制的にそれがされると、かえって迷惑かもしれない。一方でいま、切実にそれが必要とされる状況と思われる。

世界中の戦乱や、身近で起きる凶悪事件。利益優先で客に毒を食わせる企業。それらはみな、人を思い社会を思う想像力を欠いたことが招いた結果のようだ。

■とんでもない事件が起こる前に

前編では、ふたつの想像力の欠如を取り上げた。
・自分がこれからすることの影響が想像できないバイトテロリスト
・バイトテロリストがどのような心持ちで大事をしでかすかが想像できない管理者

同じ時代、同じ社会に暮らしていながら互いの思いを想像できない。違うサイロに入り込んで、そのサイロだけが世界だと思っている。

前の時代とくらべたら、ネットがあるだけずっとつながりが強くなっていてもよさそうだが、そうではない。自分と違う世代、違う役割、違う文化の者たちがなにを思い、どう暮らしているかがわからない。つながりを得られないまま孤立化した魂が、互いに恐ろしいほどの距離をへだてて点在するという荒涼とした風景がある。

間をつなぐのは想像力という触手であり、間を満たすのが友愛という大気だった。それがいま欠けている。人を思い社会を思う想像力。これが第三の想像力だ。それを見つめ、ふくらませる必要がある。もっととんでもない事件が起こってしまわないうちに。

「バイトテロ、なんでそんなことやるの? まったく気がしれないや」とばかり言っていないで。

(あもうりんぺい)