あけみくんの宝箱07-どこにも載っていない道

ぼや騒ぎは一段落した。だが原因解明はこれからだ。監査部のメンバーは職場に戻る。内部監査の実行に向けた、期待と迷いを胸に。

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■07-どこにも載っていない道

西日に薄い雲がかかり、空気が冷えてきた。すこし開いたガラス窓からメジロの軽い鳴き声が聞こえてくる。

越谷に本社から電話連絡が来た。事故の原因や再発防止について、技術部を中心とした委員会を作って調査に入るそうだ。監査部はたまたま早く現場に着いたという縁があるので、見聞した情報の提供などをしながら様子を見守ることになった。

「世が世なら監査部も調査委員会の中心メンバーになっていたかもしれないな。だがなにしろまだ温めている最中で、孵化もしていない監査部なんだから」は越谷の弁。

「さあそれじゃ、内部監査の組み立てを続けよう…
とはいえ、もうだいぶまとまったような気がする。内部監査の定義、チェックリスト、リスクとリスクアプローチ、不正不祥事の防止。
どうだ。そろそろ具体的な段取りを決めて、監査にとりかかるとするか」
越谷は管理職らしく、仕事を次のステージに持ち込む意向を示した。

「そうですよねー、これ以上やっても煮詰まってくるだけだし」
上野が賛同した。

「よしそれじゃ、いまの会社のリスクや不正不祥事の可能性についてまとめよう。そのあとでチェックリスト作成だ。まず目黒くんはリスクを…」

目黒はなにか引っかかるものを感じた。このまま監査に突入するのがいいのかどうか、あいまいな気持ちのままで言葉を探そうとしていたとき、玉川あけみが口を開いた。

「すこし待ってください。なにかが足りない気がします」

なにかが足りない?
一同、玉川のほうに向きなおる。

◆道がつながらない

「内部監査の定義は大きい話ですが、そのあとのチェックリストから先は急に、具体的な手法の話になります。このふたつが、うまくつながっていないように思います。

越谷部長が社長から聞いてきたことがありますよね。《業務の適正》という言葉や、短期利益にこだわった部長の話。内部監査で《会社をよくする》という目的のこと。

あのお話のときは、なにか期待に胸がふくらむ感じがしていました。《誠実な営業》や《顧客満足》。そして内部監査の定義のところでは《経営目標の達成》でしょう。わたしたちの働きが、直接に会社をよくすることができるかもしれない、そんな期待です。

こういったものは、いままでまとめた監査の段取りの話には結びついていません。これをなんとかつなげないと、社長の意図から外れたことをしてしまうのではないでしょうか」

こんな話をするときいつも、玉川あけみはまるで友達とショッピングに行って、このオフホワイトのジャケットいいよね、でも、かすかに藤色がかっていればもっといいかも、というときみたいな、なにか楽しげな話しぶりをする。これでぼくたちのチームの雰囲気、ずいぶん助かっているんだろうな、と目黒は思った。

「うーんそうか。不正をなくすというのも会社をよくすることだが、それだけじゃないしな」

「それに、与えられた1カ月という準備期間がやはり気になります。いままだ5日間しかたっていません。もっと考えなさい、社長はそうおっしゃっているような気がします」

越谷は、深く腕組みをしていた手をほどいて言った。「そうだな。もうすこし整理してみるか」

◆手づくりの領域へ

「気になっていたんですが」と目黒。「内部監査がどうやって経営目標の達成に貢献するのか。わたしもいろいろ探ってはいました。でも糸口がつかめないんです。なにかの届け出を忘れて役所から叱られるのを防いだり、ねじ1箱の不正を摘発したりでも、確かに経営に役立つには違いないんですが」

玉川あけみが静かに応じる。「それだけではなくて、もっと経営に直結した課題がありそうです。でも内部監査でそこまで行くにはどうするか。いままで追加で買ってきた20冊以上の書籍にもウェブサイトにも、どこにも答がありません。
抽象的には、きれいなことがたくさん書かれていても、具体的につながる道がないんです。ここから先、書籍に載っていないような、なにかを…」

いつもの「このジャケット素敵よね口調」だが、一転して玉川は3人を正面から見た。

「わたしたちが素手でこしらえあげるしか、ないようですね」

優し気な玉川の目に挑戦的な光が宿った。メンバーは思わず息をのむ。

「あ、あけみちゃん」
「あけみくん」
「玉川さん…」

◆監査部への相談

「…いいなあ」

つぶやき声が聞こえた。技術部の川口だ。さっきの事故現場から4人についてきて、そのまま部屋の隅のパイプ椅子におさまっていたらしい。

「なんだきみ、まだいたのか」

「まだ、ってひどいな。それより、とてもいい雰囲気なのでおどろきました」

「雰囲気?」

「ええ、最初は部屋が快適なせいかと思いました。こんなに窓がひろびろとしていて、緑も見渡せる。それに窓がこう直角に合わさって、船のへさきのようじゃないですか。監査の海に乗り出すぞ、みたいな」

川口が入社して技術部に配属になったときは、すでにこの旧研究棟は使われなくなっていたので、足を踏み入れるのは初めてらしい。

「でもそんなもんじゃない。みなさんがまっすぐな気持ちで、一所懸命なせいだったんですね。この雰囲気のよさは。うらやましいです」

「うらやましいって…」

川口はすこし表情を硬くすると、目黒たちに向きなおった。
「じつは監査部のみなさんに相談したいことがありました。発足したらすぐにと思っていたんですが、あんな出会いになってしまって」

消火器のノズルを握りしめたまま床にへたりこむ川口の姿がフラッシュバックする。

「よし、聞かせてもらおうか」と越谷。

◆技術部の部長ともう一人

「最近、技術部の空気がよくないんです。なんかきゅうくつになってしまって。技術屋集団だから、もともとは物づくり一直線で、ちょうどこの監査部みたいな雰囲気でした。ところが部長が業績のことばかり言うようになってから、ぎくしゃくしてきています」

目黒は技術部から製造部に移ってから半年で、新規発足の監査部に異動した。その間の技術部の状況は、うわさ話としては聞くけれど、あまり実感をもっていなかった。

「このあいだの、悪い部長といい部長の話と似てきたみたいだな」上野が浮かない顔になる。

「悪い部長と?」

「そうだ。越谷さんがよその会社で部長をしていたときに、手抜きで大儲けして、大ひんしゅくを買った話だ」

「ち、違う。知らない部長の話だ…」越谷が声をしぼり出す。

「手抜きで大儲けですか。似ていますね。でもそれだけじゃないんです。こんどはもう一人、もっと違う形で、ひどい人が出てきてしまいましてね」

「違う形でひどい人?」

 

(天生臨平)

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あけみくんの宝箱05-ねじとクリップボード

内部監査の目的は《経営目標の効果的な達成に役立つこと》だ。そのためにおこなう経営諸活動の評価、助言と勧告。氷上のターンのように難しげなその課題を、うまく着地させる具体手法はあるのか。書籍の探索が続く。

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■05-ねじとクリップボード

◆三様の監査

「内部監査の定義は大切そうだから、またあとで聞こう。あけみくん、きみはどうだ」

玉川あけみは手元のリモコンを切り替え、自分のパソコンの映像を壁のモニターに映した。

「わたしの見た本は2冊で、その両方に書いてあったことがあります。それは《内部監査は法律でなにも規定がない。そこが会計監査人の監査や監査役の監査と違うところだ》とのことです。」

「監査役や会計監査人は、会社を監視する義務がある。違反すると罰則があるし、株主から訴訟を起こされるリスクも発生する」越谷が応じる。そのへんはしっかり勉強してきている。
「だから会社の安全をしっかり見てくれていて、われわれも安心できるわけだ。ただかれらは法的な責任を問われる立場だ。安全サイドに立って、保守的な判断をしなければいけないときもあるんだね」

「じゃ内部監査は無責任でいい?」と上野。

「いや内部監査人は、経営者に対して業務としての責任を負っているよ。営業や製造と同じようにね。だが法的にはあまり拘束がない立場だから、ときには大胆な提言もしないといけない、ということかもしれないな」

(大胆な提言…)越谷の言葉で、目黒は《助言、勧告、アドバイザリー》という、さっきの定義の一部を思い出した。

◆チェックリスト

玉川あけみのプレゼンが続く。
「ひとつ目の本はチェックリストを使った監査の実務が重点です。もうひとつは不正不祥事に焦点を当てています。チェックリストは簡単にいうと、ルールどおりできているかをマルバツで判定するリストです」

「玉川さん、営業と技術ではリストが変わってきますよね」と目黒。

「はい、業種でも職種でも違います。たとえば建設業なら〔建設業法の第何条に違反していないか〕〔違反しないように毎月確認しているか〕といった百何十もの項目があります。業種ごとにチェックリストの例が出ています」

画面は、製造業、卸売業、小売業などの大分類から、さらに食品製造業、機械製造業など細かな分類までサンプルのチェックリストがあることを示していた。

具体的な話になって上野の顔がほころんできた。目黒は、チェックリストをクリップボードにはさんで現場に行き、「これはどうなってますかぁ?」などと質問している自分をイメージした。使えるかもしれない。

◆リスクアプローチ

「チェックリストは業種ごとに変わるだけではありません。この本では、《リスクを洗い出し、低減すること》を内部監査の重要なテーマにしています。いま監査対象の組織にどんなリスクがあるかでチェックリストが変わってきます」

越谷「リスクアプローチというやつだ。最初に分析して、リスクの程度が高い項目から重点的に確認していく」

上野「リスクって、さっきもちらっと出てきたけど、いまひとつ、なにかな感があるんですが」
玉川「リスクは《結果の不確かさの程度》と定義されています」

目黒「さっきは《上振れリスク》という話が出ましたよね。《予想に反して儲かってしまった》というのもリスクですか」
越谷「定義からいうとそうなるが、リスク管理の世界では《損失を与える危険度》のことを指す、としてもいいようだな」

玉川「この本では《内部監査はリスクを発見して低減するための活動だ》と言い切っています。さっきの目黒さんの話では《経営目標の効果的な達成》から入っていて、かなり違うなと思っていました」
目黒「言っている内容はそれほど違わないにしても、言い回しはずいぶん違うな。これが《法律で決まっていないから自由度が高い》ということですか」
越谷「そういえば別の本で、《経営目標の達成を阻害するリスク》という言い方があった。やはり言っていることはそんなに違わないかもしれない。話の入り口がすこし違うということだろう」

玉川「リスクアプローチの方法では、資料を調べたり、監査対象にインタビューしたりしてリスクを洗っていきます。それをどう《統制》しているか、その統制が有効かを監査で確認します。重要そうな言葉として、リスクマップとかエンタープライズリスクとか満載しているので、あとでまた触れることになると思います」

◆不正不祥事

「もうひとつは不正不祥事の話で、米国の本の翻訳です。リスクのうちのひとつに焦点を当てた形ですね。会社の幹部が粉飾決算をしたといった大きな話から、会計担当者が支払い代金を自分の口座に落としたとか、工場労働者が「ねじ」を1箱ふところに入れた話まで。これを内部監査でどうやって防ぐかを書いてあります」

「あけみちゃん、ほんとにそれ、ねじ1箱の話なの?」解せない顔の上野。
「そんな小さな話がとくに多いですね。こんなに細かく場合分けして監視する必要なんて、ほんとにあるのかと思いました」
「ふうん、多いんだアメリカって、ねじの好きなやつが」

「米国の本、ということだね」と越谷。
「そういえば米国では、ほうっておくと下のほうの職場ですぐに不正が発生する、という話を読んだことがある。統計的に正しいのかは知らないが、すくなくとも米国の管理職はそう思っているらしい。だから不正は《普通にある》のが前提で、管理統制、監視、そして監査をする。だが当社では、そこまでしなくてもいいのかもしれない」

「現場の人たちはまじめですからね」
「そうそう、上にいくほどだらしないし、だいいち働かないんだ」上野が反応する。「一度、上司の手助けしに経営会議ってのに出たことがあるけど、えらい人たちがくちゃくちゃしゃべってるだけで、ぜんぜん働いてなかった」

そこまで言って、ふと上野の顔が曇った。「いまのおれたちも、そうなのかもしれないな。…おれは営業だから、なんでもカネに換算する。こうやってしゃべっているのも、何日もかけて準備しているのも、ぜんぶ会社の給料でやってるんだ。うまく結果が出ればいいけど、そうでなけりゃ、みんなに丸損させていることになる。そうじゃないですか、越谷さん? あれ、なにやってんすか?」

越谷はみんなに背を向けて、なにやら紙をいじっている。ミスコピーを機密とそうでないのに分けて、メモ用紙を作っているらしい。
「上野くんの言うとおりだよ。すこしでも働かないとと思って」
「まじめな話をしているんですよ。内職禁止! だいたい…」

◆黒煙

言い終わらないうちに、ずんっという鈍い音がした。大音響ではないが腹に響くような音。方向や距離は見当がつかない。だがふだん聞いたことのない音だけに、なにか不穏な感覚が立ち上がってくる。顔を見合わせるより早く4人は席を立ち、無言でドアを開けて表に出る。

工場敷地の中心部あたりを見渡すと、ここから案外近い一郭に黒っぽい煙が細く上がっている。爆発か火災、間違いなく非常事態だ。4人はそれを認めると一瞬、立ちすくんだ。たぶん各人が、とっさに判断していたのだろう。状況を確認しにいくべきか、反対方向に逃げたらいいのか、社内放送があるまで待機するのか。

越谷が口を開き始めるのと同時に、玉川あけみが声をあげた。
「見にいきましょう」

「あ、あけみちゃん」
「あけみくん」
「玉川さん…」

言葉を探しながらためらっている3人の男たちに、玉川は宣言した。
「私たちは監査部ですから」

 

(天生臨平)

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