人はなぜ集うのか8-組織を協和音で満たす

「ウチにはね、ぬるい善人なんかいらないんだよ。悪人だってかまわないから、外から利益をぶんどってくればいい」

かなり多くの管理者が、本音のレベルではこう思っているのかもしれない。だが長い目で見て、それでいいのか。

「人はなぜ集うのか」連載第1回はこちら

■我欲型をどう扱うのか

組織には、さまざまな資質や人格を持った人が集まってくる。それはさまざまであったほうがよくて、一色で塗りつぶした集団は脆弱なだけになる。ではその多様性をどう活かし、だれにどんなことをさせたらいいのか。組織が末永く社会の役にたち、発展を続けるために。

対人志向の円環で、下半分の領域を「我欲型」の属性と定義づけた。これは組織メンバーとして「欠点」に当たるのだろうか。結論は「そのとおり」だが、すこし曲折した議論をする必要がある。

教育的な観点で「欠点を矯正するより、それ自体を長所とみなしてうまく使おう」というアプローチがある。対人志向に当てはめると以下のようになる。ただしこれらは「暫定策として悪くない」程度のものであり、あとで違う結論を導く。

領域の分類を含む対人志向の円環図
対人志向の円環と領域の色分け(再掲)

(a)<闘争タイプ>は、ライバルの渦巻く営業前線やタフな交渉を要する局面に投入する。相手を叩き、その成功で優越心を満たすという行動特性を組織の競争力に転換する。

(b)<嗜虐タイプ>は、内部の切り捨て人事や、外部の弱小組織を犠牲にする局面にあて、温情を排し敢然とした遂行を図る。

(c)<略奪タイプ>は、荒々しい争奪戦。また人の資質によっては深読みの謀略を要するパイ取り合戦に差し向ける。

(d)<利得タイプ>は、処遇の向上や金銭的利益などで釣って、本人の利得と組織の利得を同期させる。

(e)<承認欲タイプ>には、細かな成果が出やすい仕事を与える。アクションごとに積極的な承認(称賛)を与え、おだてながら使う。

■調和型の者には効果的な使い方がある

上で述べた策は「局地戦の戦術として悪くない」程度のものであり、これらを普遍的な原則として据えると、かえって不都合なことになる。

なぜならば、組織は我欲型の行動一色では社会と折り合いがつかなくなるからだ。当サイトでは、収益活動は儲かればいいという立場をとっていない。社会に適切な価値を適正な手段で提供して初めて組織の存在が認められ、収益も得られるという考え方だ。

そのあたりの思想は人によって濃淡もあるだろうが、いずれにしろライバルや取引先・顧客などのステークホルダーに背反したり収奪したりでは、長続きすることはない。

むしろ前記5つのタイプへの適用施策(a)~(e)をそれぞれ円環上で180度うらがえして以下のようにしたほうが、長い目で見て組織にとっていいぐらいだ。

(a’)前線の営業や交渉は、相手先との間に良好な関係を築いて相互の利益を図ることがよい結果を導く。そのために<共感タイプ>をあてる。

(b’)切り捨てを要するような厳しい局面での人事や、外部弱小組織への対応には、相手方の立場の理解から入って、組織にとっても最善の解を求める<寛容タイプ>を。

(c’)争奪戦には、利害の綱引きにとらわれず、違う軸から見て昇華した解を導ける<友愛タイプ>を。

(d’)組織利益の維持向上には、本人の利益にこだわらないで組織や社会のために目標を集中できる<奉仕タイプ>を。

(e’)成果を積み重ねる局面では、個人の業績を拾い集めるのに汲汲とせず、ともに創造的な価値を追求できる<共創タイプ>を。

■調和的な志向を開発する

いままで社会で「対人志向の円環」のような図式を使って組織分析がなされてきたわけではない。けれども指導者の直感の中ではそれと似たプロセスがあったと思われる。

その直感が導く結果として、「攻撃力に優る我欲型」「軟弱で妥協的な調和型」という認識になりがちだ。端的に言うと、冒頭に挙げたような「なまぬるい善人よりも切れ味のよい悪人」となる。

筆者はこの一連の認識にまっこうから反論する。「なまぬるい悪人よりも切れ味のよい善人」という言い方だってできるし、「調和型が導くWin-Win」とも言える。なにより「社会に価値を提供することで初めて報酬が得られる」という、組織の根幹的な課題に貢献するのが調和型の人間だ。

組織は、メンバーの中にある調和型の志向を伸ばしていくべきだ。それは二通りの道があり、ひとつはもともと調和型の傾向が強い者について、それに磨きをかけること。もうひとつは、我欲が支配的な者について、内に持っている調和型の志向を引き出し、育てあげることだ。

「7-個人を伸ばす」で検討したように、これをすることでメンバーの伸びしろを見つけることができる。同時に、それは組織にとっても伸びしろになる。本連載で「悲劇的」としていた、円環の上下の組み合わせ、たとえば<嗜虐タイプ>の人と<寛容タイプ>の人でペアを組んだ仕事もできるようになる。

連載の6と7で示したメソッドなどを使って調和的な志向の開発を進めていくと、人数を増やさなくても組織の人財層が厚くなる。メンバー同士の好ましい相互作用で集団の価値も底上げする。《人の資質》という資産が複利計算で増えていくようなものだ。これは利得志向の組織にとって見過ごしておけない課題だ。社会にとっても。

<了>

(あもうりんぺい)

□連載目次□

人はなぜ集うのか5-光の領域と闇の領域

対人志向における悲喜劇の背景にはなにがあるのか。対策を練るための前段として、円環上の領域を使って総括する。

■調和と我欲の相克が悲劇のもと

第2回では、「対人志向の円環」の上側と下側それぞれの領域に特徴があることを述べた。上側は、10~2<共感、寛容、友愛、奉仕、共創>。下側は4~8<闘争、嗜虐、略奪、利得、承認欲>だ。間の<3.共闘><9.依存>は上下両方の性質を兼ねる。ここでは円環領域の上側をくくって調和型、下側を我欲型と呼んでおく。

%e5%af%be%e4%ba%ba%e5%bf%97%e5%90%91%e3%81%ae%e5%85%89%e3%81%a8%e9%97%87
対人志向の円環 領域ごとの属性(第2回からアレンジして再掲)

第3回の悲劇的な組み合わせは、二人のうち一人が調和型、他方が我欲型に位置しているものだった。とくに<0.友愛>と<6.略奪>のように中心をはさんで対称の位置にある者同士だと、それが顕著に出てくる。

我欲型の者が調和型を支配し屈服させることはよくある。ただし、調和型が一方的に負けてばかりいるとは限らなくて、双方の実力や度量の差によって結果は違う。逆に調和型の者が相手を包容し善導することもある。

■似たもの同士ではどうなのか

では調和型同士や我欲型同士の組み合わせはどうか。これには二人とも<6.略奪>などといった、まったく同じタイプ同士も含む。

調和型は共同的・協調的な価値の追求がベースなので、第4回で検討したように、調和型同士だと人間関係は基本的にうまくいく。(ただし厚すぎる好意のうとましさや、善意のすれちがいからくる悲劇もなくはない。)我欲型同士だと利己的・排他的だから、とたんに難しくなる。

我欲型が集まると、嗜虐なり略奪なりの共同戦線を張ってアウトロー集団になり、自分たちの我欲をいっそう満たす(さらにまわりに迷惑をかける)ようなこともする。そうなってもならなくても、集団内部ではメンバー同士の血みどろの抗争の中で地獄図絵が展開することになる。

我欲型の勢力が多くを占めると、外に対してはアウトロー集団、内側では地獄図絵集団、という様相がかなりの確率で発生するということだ。

そこにこんどは少数の調和型のタイプが迷い込むと、さらに悲惨さは深まる。共同的・協調的な行動のよさが受け入れられず、集団の運営に役立つことなく、その理不尽にとまどうばかりになる。また集中的な略奪や虐待に遭って精神が痛む。人数に極端な差があると、少数派の調和型タイプが包容力で善導するなど、とても難しいことになる。

そうなっていないだろうか、読者の所属組織では。いやこれは案外よくあることなのだ。

対人志向の組み合わせによる悲喜劇は、ある程度は避けられない。では個人として、また集団を差配する指導者として、人間関係をいい方向に収めるために、どう対処したらいいのか。次回へ

(あもうりんぺい)

□連載目次□