敏腕社長の厚生リスク、または情けはだれのため(2)

■補償はする。風評にも訴訟にも備える。いいのか?

危険商品に戻って話をしよう。事故時の補償などの直接コストが300万円。それを防ぐための安全対策費は800万円。
[誤解]「安全対策なしにすれば、リスクよりリターンのほうが大きいので、強行」
[正解1]「評判や後のコストを加味した自社利益を考え、安全対策」
[正解2]「顧客の生命財産が第一だから、安全対策」

[誤解]が短絡的すぎるのはもちろんだ。問題は[正解1]が好ましいのかどうかだ。筆者の結論を言おう。

「よくない」

なぜかというと、企業の方針レベルの話になる。

■自社利益という極限的無限ループ

[正解1]のように考えていると、商品の企画や製造や販売や、すべてが「自社利益のため」という方向になる。顧客の望む方向からずれていき、将来はそっぽを向かれる。結局は自社利益のためにならない。だから顧客や社会の利益を図ろう。

やっぱり「自社のため」が理由になっている。これは[正解1.1]というべき考えだ。

だからそれを改めて、しっかり顧客のほうを向き、ずっと向き続け、それで末永く…自社のためになる。[正解1.11]

あれ、いつまでたっても[正解2]に届かないではないか。

これぐらい、われわれは「自社(自分)」の利益を第一にし、そこに収束する考え方を植え付けられている。

■厚生リスクという概念

「企業の目的は自社の利益」と割り切るなら、それでもいいのかもしれない。だがいったんその考えをとったら最後、上の無限ループにはまる。
・とりあえず社会の利益を図ろう。自社利益のために。
・すると社会の利益からずれていく。
・社会から支持を得られず、自社のためにならない。

別の価値軸を立てる。企業がいま存在するのは、なんのためなのか。当サイトのCSRカテゴリで何度か触れたように、《社会に価値を提供するためである》。その目的の下に、利益もついてくるし自社の存続もついてくる。

そう考えれば、宿痾のような無限ループから脱することができる。 これを日本の伝統に沿った形でいうと「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」になる。

A社危険商品のように、社会への価値提供を阻害するリスク、あるいは社会に不利益をもたらすリスクがある。これを《厚生リスク》と呼んでおこう。ここで厚生とは、広い意味で「社会が得すること、損しないこと」だ。

厚生リスクは「自社の利益を阻害するリスク(エンタープライズリスク)」とは別建てであることがポイントだ。いったん自社利益を棚上げにし、独立したリスクとして厚生リスクを捉える。

■厚生リスクを抑える安全対策費、そしてアルファ項

厚生リスクは、無限に追求できるものではない。事故の可能性も含めて、あらゆる意味で社会に迷惑をかけない商品というのは想定しにくい。対策のために、どこまでもコストをかけ続けることはできない。程度問題だ。

では、どこまで費用をかけられるのか。厚生リスクを抑えこむための対策費を式にすると、こうなる。(前回A社の例を[誤解]に当てはめると、800万円 > 300万円だと理解してほしい。)

《安全対策を放棄する基準》(式が成立したとき、それ以上の対策をしない)
[誤解]安全対策費 > 事故時の直接費用
[正解1]安全対策費 > 事故時の直接費用+その他想定費用+ブランド毀損
[正解2]安全対策費 > 事故時の直接費用+その他想定費用+ブランド毀損+アルファ

《アルファ項》をいかに大きく取るかが、社会厚生に対する企業姿勢の表れになる。技量しだいで、アルファを大きめにしてもプロジェクト全体収支のプラス維持はできる。これに努力を傾けることだ。

自社のために。

(あもうりんぺい)