ここまで来てしまったのか成人式

成人式がとんでもないことになっているらしい。
北九州にある某市では、参加者の服装が年々派手になり、行きつくところまで行っている、というニュースを見た。

ギンギンの族ファッションで固めた男の集団。頭にバービーぐらいの人形をいくつも、頭髪のようにくくりつけた女性。この人は靴のかかとを透明にして、これまたいくつもの人形の生首を入れている。
えりを大きく開けた江戸時代の「おいらん」の装束の女性たち。おいらんファッションは定番として認知されつつあるらしい。1回限りの衣装のために80万円もかける者がいるとか。

こんな風潮に対し、筆者はひとつ、声を大きくして言いたい。
すばらしい!

どうしてこれがいいかというと。第一に、人に迷惑をかけない。(これが一番たいせつな要素だ。)それからバカバカしくていい。見ていて楽しい。「いまどきの若い者は」と言いたくてしょうがない人たちに楽しみを提供している。社会貢献だ。

人の迷惑の話でいうと。何十万円の衣装代をどうやって捻出したのか。「この日のために」こつこつバイトで貯める者もいるというが、一方で親からの強奪だってあるだろう。迷惑じゃないのか。まあこれは身内だから互いに責任をとってやってくれ。他人にゃ関係ない。

異形ファッション台頭の裏には、仕掛けた衣裳店があるという話があるが、これもかまわない。人は仕掛けられただけでは熱意をもって動くものではない。

その一方で、くだんの北九州の会場で流血のトラブルがあった。
全国でも、進入禁止の会場前広場に大量の車で乗り込んで暴れまわる。式の最中、登壇者に食ってかかる。私語が充満してそもそも式にならない。そんなことが多発している。

こういったことは断じて許せない。理由は、人に迷惑がかかるからだ。

そりゃ確かに、成人式なんて官製のお仕着せで、主催者のくだらない自己満足のためにやるものだ。だからといってそういう主催側の人たちにも人権がある。踏みにじってはいけない。

もし若者のタメにならない成人式だ、市の予算のムダだと思ったら、集まってこなければいい。みんな来なくなれば自然に消滅するだろう。

一番いけないのが「私語で式が台なし」のパターンだ。集団の陰に隠れての怠惰、無関心、非協力という名の破壊活動。これはどんな努力も覚悟もなしに実行できるだけに、そのぶんだけ卑劣さが増すテロ行為だ。

式だけではない。学校でもどこでも、この種のマインドが蔓延している。「だって、つまんないんだもん」ならば退場しなさい。

成人式では、こうした私語爆弾テロの実行犯は、男はスーツ、女は振り袖に白い羽毛ショールという没個性スタイルが主流だ。

会場内でそんなことになっているわきで、表では知恵を絞ったキテレツなファッションで練り歩く。「式なんて出ないわよ」
いいではないか! この個性、自己主張。しかもバイトで貯めながら(または親と死闘しながら)何十万円の衣装投入という努力と覚悟。

式に出ないと宣言したその時点で、押し付けではない、手作りの成人式が成立している。ということは、会場内の主催者たちとの間では理想的な不可侵・共存関係が構築されたということでもある。

若者は騒ぐものだ。自己主張するものだ。「人の迷惑」という唯一絶対の垣根だけ見越して、あとは楽しく見守っていたい。

(あもうりんぺい)