ソーシャルビジネスがなくなる日

※ソーシャルビジネス:社会問題の解決を目的として収益事業に取り組む事業体のこと(Wikipedia)

ソーシャルビジネスなんて、そのうちになくなる。

なぜなら、すべての企業がソーシャルビジネスになるからだ。全部がそうなれば、ラベルづけに意味がなくなる。ソーシャルという言葉がビジネスから消えることになる。

そんなことになってしまうという根拠はあるのだろうか。

新しい価値観に裏打ちされた、新しい生活と産業の枠組みが胎動しているというのがその根拠だ。以下のように。

■あちこちで胎動がある
・消費者の選択は、社会的意識の高い企業に高得点を与えている。同じようなものなら、社会貢献のイメージがついた企業の製品を選ぶ。

・就職活動においても、環境優良企業など社会的に好ましい活動をする企業に良質の人材が集まる傾向がある。

・「食の安全」を中心に、消費意識が変わり始めている。健康をむしばむ食品添加物などに敏感になった。すこしでも販売を伸ばし、コストを下げるために、消費者の健康を代償にしているように見える。一部の消費者が走りすぎて白を黒と断定してしまうところもあるが、それも含めて企業側では無視できなくなり、対応に躍起だ。消費者側では、「そうまでして儲けなくてはいけないの?」といった、企業活動の基本的枠組みへの不信感が芽生えつつある。

・ソーシャルインベストメント(*)という言葉を持ち出すまでもなく、社会や環境に配慮する企業に投資が集中してきている。これは単に企業イメージや投資家の自己満足の問題ではない。社会的意識の高い企業は、消費者も集めるし良質な人材も集める。中長期にわたって安定した成長が見込めるというのがこの背景だ。
(*)ソーシャルインベストメント:株主が積極的に発言し、企業の社会貢献活動を活発化させること。またそのための投資。ソーシャルファンディング(≒クラウドファンディング)とは別概念。

・リーマンショック以来、強欲資本主義が批判され、ピケティ『21世紀の資本』が上梓されるにおよび、ビジネスの世界に反省機運がある。明確な代替案が出ているわけではないが、いまの資本主義の枠組みは万全でも安泰でもない。小幅か大幅かはともかく、修正が入る可能性がある。それに備えておかなければ、といった認識だ。

・ボランティアに関する意識が変わった。大規模な災害が起きるたびに、若者を中心に多くのボランティア志願者が活動を始める。以前からそのようなことはあったが、気風として広がっている。かれらの一部で、スキルが拙かったり意識が熟していなかったりして足手まといになったといったこともあるようだが、それは別の話だ。ボランティアの組織のしかたもやがて洗練されていくだろう。問題は、社会貢献への直接的な意欲が、はっきり行動化していることだ。

■ばらばらだったものが重なり合う
冒頭にあげたソーシャルビジネスの定義には「社会問題の解決」と「収益」が混在しており、その両立が要件になっている。これは「働く意義」そのものではないか。ソーシャルじゃないビジネスを想定すること自体が矛盾をはらんでしまう。間違えたくないのは、収益最優先の活動を「倫理」や「(旧来の意味での)社会貢献」でメッキしたものが目指す姿ではないということだ。

企業の成り立ちは元来、ソーシャルビジネスだったはずだ。明るさと安全と便利のために人は電力会社を作った。豊かさと安全と便利のために自動車会社を作った。それらに素材を提供するために鉄鋼会社も立ち上がった。すべては人と社会のためだった。

ソーシャルビジネスとボランティアは、とりあえずは違うものだ。だが基本になる考え方は似ている。さてそれら両方が「自分には関係ないものだ」と思っていなかったか。そんなものは、もの好きがすることだ。年端のいかない者の気の迷いだ。頭をつっこむ余裕なんてない。責任ある者はそんなことに付き合ってはいられない。いや結構なことなのでおおいにやってください、でも私は知らない。などなど。

どっこい、それは違うのだ。社会貢献と収益と、仕事として取り組むべき課題とが、別々だったのが重なり合うことで本来の姿を取り戻す。そんな変化がすこしずつ起こってくる。

「ソーシャルビジネスがなくなる日」に対して、気持ちの備えはあるだろうか。

(天生 臨平)