技術にはなにが詰まっているか -ホンハイ・シャープ買収契約2[技術・卓見編]

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■史上最大の買収先を評価する

シャープの買収は、台湾の産業全体にとって過去最大のM&A案件となる。どこが鴻海精密工業(ホンハイ)の郭台銘会長をそこまで惹きつけたのか。

企業買収案件では、企業価値査定(デューデリジェンス)の作業が行なわれる。会計専門家を始め多数の人員が投入され、詳細な算定がなされる。だが出てくる結果は客観的に正確というほどのものではない。

技術をコア資産とする企業の価値査定は容易でない。全国に物流拠点を持つ流通企業や、店舗網とオペレーションノウハウを有する飲食業などならまだ査定のしようがある。それにくらべて特段の難しさだ。

たとえば現金化(マネタイズ)の進んだ特許資産なら一定の評価尺度があるが、これは技術成果物の小さな一端だ。現行製品それ自体もまた一端にすぎない。

■卓越した経営者だけが知る、技術の底力

技術の中枢部分は、組織内に培われた潜在的な能力(ポテンシャル)だ。それに呼応するかのように、郭台銘会長は「シャープはポテンシャルのある会社」と明言している。氏が強く認識しているのは、ビジネスモデルに翳りを見せているホンハイ自体との対照でもある。

サンヨー白物家電がハイアールに、東芝白物が美的集団に、そしてシャープ全社がホンハイにと傘下入りするにあたり、買収側のアジア各社は競合で値がつり上がることを避け、うまく棲み分けを図っている。正面から競合したら買収価が天井知らずになってしまうほど魅力的な素材だからだ。

「疲弊しつくした日本の電機・電子産業」の、どこがそんなに魅力的なのかと、いぶかる向きもあろう。だが疲弊しているのは経営だけであって、技術と伝統は燦然としている。白紙から追いかけたのでは、なかなか間に合うものではない。

■技術の三層は深い

技術は最低、三層で考える必要がある。(ただしここで、熟練作業者が保持する《高度技能》はまた別軸だ。)

(1)具体製品に直結する個別性の強い技術。設計図や工程手順書に代表される。
(2)応用のきく要素技術や基幹技術。可視化すれば特許、ノウハウ集などになる。その可視化(形式知化)さえうまくいけば、伝承や移転が比較的容易だ。
(3)要素技術やノウハウや製品を産み出す力。開発力、着眼力、企画力。

具体的に見えている部分だけで技術を評価するべきではない。前節からポテンシャルと呼んでいるのは、主に(3)の技術に当たる。

これはすべてが暗黙知というわけではない。一部は明文化され組織内に散在しているのが普通だ。だが基本的には風土と人に浸透しているので、移転するには長期の取り組みが必要だ。

そのポテンシャルは測りがたく、企業価値査定や株価に反映しにくい。その評価は投資家や経営者の予見力、イノベーション能力に委ねられる。

メーカーに蓄積された技術は、何十年にわたる当事者の地道な努力と社会的な投資の結実だ。それがどれだけ大切なものか、多くの日本人や当事者は理解していないように見える。そしてなによりもこの貴重さがわかっているのは、ホンハイを含む台湾・中国・韓国のメーカーたちだ。それが一連の買収劇の起爆点になっている。

■電子立国が遠のく

電機産業はもうダメという議論に「コモディティ化(同質化)してだれでも作れるようになったから」というのがある。たしかに最終製品を組み立てるだけ(つまりホンハイのビジネスモデル)なら、わが国の産業に勝ち目はない。だがそのコモディティを構成するモジュールや素材は、台湾や韓国が台頭しているとはいえ、わが国でもまだ健在だ。

IGZO液晶パネルや有機EL、カメラモジュールなど、コモディティの構成要素としてのシャープの競争力の源泉は数多くある。さらに、それらばかりではない。

たとえば白物家電。

シャープが現時点で販売している「ウォーターオーブンヘルシオ」を作ってみろといわれれば、ホンハイはただちに、もっと安く品質のよいものを作るだろう。だが見たことのない来年・再来年のシャープの調理家電を一から作れといわれたら、できない。

それぐらい基礎研究と製品開発力は身についていない。売上高15兆円、世界最大手の受託生産会社であるホンハイにしてもだ。

シャープも東芝も、安定した高品質の、ときにイノベーティブなアイディアにあふれた家電を産み出し続けている。日本国内では大手がひしめいて個社に規模のメリットがなく、弱体とみなされる白物家電。その中でも小粒なシャープ。それでもこのありさまであり、世界的に見て珍重すべき状況だ。

《一流の技術、劣等な経営》は以前から言われているが、残念なことにいまでも事実だ。すでに指摘したように、日本の多くの企業は首のすげかえ、経営者の交代を必要としている。

技術と伝統を再生させるのに必要な《経営者という資源》が枯渇し、国内で得られないのであれば、てっとりばやく海外に求める。それは正しい道ではある。前に指摘したように、資本の国際化も進めるべきだ。産業は国と国との争い(ばかり)ではない。

だがそれらとは別に、基幹技術の総体を経営権ごとタダで譲り渡した代償は、将来大きく効いてくる。

まとめて言うなら
・シャープの技術と伝統、ブランド
・ホンハイの経営力、シャープの価値を評価した卓見
の、ある意味で理想の組み合わせが今回成立した。世界のモノづくりと社会厚生のためには好ましいことだ。だがそれに終わらない。

・ホンハイに移行したオーナーシップ
のために、買収金額を一桁も二桁も上回る利益を将来のホンハイにもたらし、日本の電機・電子産業にとって脅威が発生する。そしてこれが終始、合法的に行なわれたということだ。(交渉事にはフェアもアンフェアもないと仮定したならば。)

■育む姿勢が問われている

シャープ問題に関する議論は絶えないし、論点もばらついている。その原因は組織への認識、その裏にある技術観にあると見ている。

国際競争に勝てなくなってゾンビ化した企業は「ダメな会社だからつぶしてしまえ」といった意見がSNSなどに散見される。これは会社を経営者と従業員、資本と技術に分けて考えられないラフな発想で、語るに落ちる。

一方で大手メディアの論調では、知らないうちに経営者側の発想に立ち、人間や技術をモノとしか見ていないと思われるものが多くある。モノならば、少々痛くても切り売りも捨て去ることも自在だ。

最近、シャープ買収劇を扱った全国紙朝刊一面のコラムを見た。そこで「人や事業の一部を手放す経営者は身を斬られる思いだろう」といった記述があって、目を疑った。

経営者は従業員の命運と経営資源を預託される存在だ。失敗したら自らがかけた迷惑を詫びて退場し、場合によっては民事・刑事責任まで負うのが本来の姿だ。「自分を安泰な立場に置き、泣いて従業員を斬り捨てる」などという権限自体がそもそもない。それをあるように思っているのが大きな見当違いだ。

技術には、当事者の知恵と労苦と、消費者の激励と社会からの支持と、何十年の営みが詰まっている。この珠玉を捨て去るよりは人に渡したほうがいいし、手元に置いて育んだほうがもっといい。

たくさんの珠玉を、大事にしていけるような世の中であってほしい。

(あもうりんぺい)

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■一石四鳥の大舞台

ホンハイ(鴻海)精密工業によるシャープの買収契約に両社が正式調印した(2016年4月2日)。画期的なことだ。なぜなら《シャープの経営権掌握、資本注入、成長資金確保、技術の取得》を一石四鳥で、しかもホンハイ側にきわめて有利な形でやってのけたのだから。

二大プレイヤーは、ホンハイの老獪と卓見、シャープの技術だ。どちらがなくてもこの大舞台は張れなかった。

■買収スキームごとに違う有利不利

今回出資の方式は「第三者割当増資」であることに注目してほしい。これは買われる側の会社が発行する株式を、設定された価額で引受側が手に入れるという投資形態だ。言葉の定義上では企業買収の一種でもある。

それと対立する狭義の企業買収(今回とらなかった方式)は、「現金による市中株の買い付け」または「株式交換」で行なわれることが多い。これはオーナーから経営権を譲り受けることだ。旧オーナーは被買収会社の株式を渡し、現金または買収元会社の株式を得る。

このとき買収価額は、企業価値査定(デューデリジェンス)の作業を通じて行なう。算定基準は、「被買収会社がどれだけキャッシュを生み出す力があるか」「借金を除いた正味の資産はどれほどか」「株式時価総額はどうか」などである。

現状のシャープでは、かなり低い価額の算定も可能だ。ただこれだと、見た目の価額が買い叩きに見えて、既存株主や社会から反発を招きやすい。買収手続きには株式の公開買い付けなどが必要で煩雑だ。おまけに、これだけでは被買収会社の財務内容はなにも変わらない(図1参照)。傾いた経営を建てなおすために、あらためて資金注入が必要になる。

bs-acquisition
<図1>貸借対照表 オーナー間取引の企業買収では、被買収側の財務状況に変化はない

■速くて安くて効果的な企業買収

今回実施のスキームである第三者割当増資(新株の引受)方式はどうか。被買収会社が株式を発行して、それを買収側が買い取るというワンアクションで成立する。この方式は以下の条件のとき、とくに株式を引き受ける側に有利になる。

1.相手の支配権を握るほどの数の株式を取得し、
2.相手の財務内容が壊滅的なほどひどくなく、
3.業績を盛り返せる可能性が高く、
4.そのほかにも活用できる資産が相手側にある

今回案件では、このように条件を満たしている。

1.は引受完了時に株式の66%をホンハイが握ることになり、重要事項を含む議決のすべてを意のままにすることができる。
2.は、シャープに負債5100億円の返済期限が近づいていたものの、これに猶予を与えれば当面の問題はなくなる。
3.はホンハイ流の俊足剛腕経営をもってすれば、業績回復の見込みが高い。
4.は、シャープに脈々とした技術とブランドがある。

ではホンハイにとってどう有利なのか。経営権を得たうえに買収金額を資金として活用でき、きわめて安価に貴重な技術まで手に入るからだ。以下で過程を追う。

シャープは株式を発行する。原資は必要としない。ホンハイは株の対価として3880億円をシャープに払い込む。これでシャープ議決権の66%を取得し、事実上の完全支配権が成立する。

払い込まれた金額は貸借対照表(図2参照)の右側に株主資本として記録される。同額が左側に「現金・預金」として加わる。資本増強と事業資金調達が同時に行なわれたことになる。

前述のように当面の負債償還を回避すれば、この資金を設備投資や研究開発、広告宣伝などの成長投資に当てることで、そのままキャッシュを生み出す源泉になる。

bs-allocation
<図2>貸借対照表 新株引受による資金注入では、株主資本と現金が増える

既存株主にとってはどうだろう。資本増強によって倒産危機が回避でき、新経営体制による収益性改善が期待できる。しかし株式の持ち分と発言権(経営権)が大幅に薄まって不満材料になる。3月の両社大筋合意のあとシャープ株価が急落したことがそれを示している。

ホンハイにとっては上に見たように、新株引受によって簡単に経営権を入手し、支払ったカネはそのままシャープの成長資金として注入できる。シャープの技術やブランドを利用して成長路線に乗せ、その利益を取ればいい。さらに手元にシャープの技術が残る。こんな好都合なことはない。このスキームは、最終決着した買収価額とともに、ピンポイントでホンハイの最大利益と最小リスクを保障している。

■とんちんかんな要望で負けている

一方、シャープ側が打った戦術はどうだろう。ホンハイから「力強いコミットメントが得られた」とシャープが自称する、以下の文言がある。(シャープによる2016年3月30日IR資料より抜粋編集)

・「当社およびその子会社の経営の独立性を維持・尊重」
・「組織体制の最適化に関する当社の自律的判断を尊重」
・「当社の日本における研究開発・製造機能を維持し、当社のコア技術の流出を防止」
・「当社の経営の独立性について(略)最大限尊重し維持」

「当社」をくりかえしているが、経営権を握られた時点で旧シャープ経営陣という「当社の経営主体」は消滅する。代わって、ホンハイの意向がシャープにとって「尊重されるべき当社の判断、自律性、独立性」になる。それがわかっていたのだろうか。

シャープ高橋興三社長は、「ホンハイ郭台銘(テリー・ゴウ)会長は買収ではなく投資だと言ってくれた」と述べている。投資という言葉が当てはまるのはいままで見てきたとおり。だが買収でもある。

「ホンハイは助けてくれただけ。経営には口出ししてこない」と思っていないか。そんな状態なら、すなわちシャープを経営的にコントロールしないなら、ホンハイのほうがその株主に対して責任を果たさないことになる。会社を手に入れたら、その人や技術を含めて自社のためにフル活用するのが権利でもあり務めでもある。

上記の不思議な「コミットメント」は旧経営陣の判断の不思議さを象徴しているようだ。

■闇から出現した偶発債務

以上は交渉開始時から変わらないスキームだが、ほかに大きな変化があった。これは2月24日にシャープ(またはそのファイナンシャルアドバイザ)から公にされた資料が発火点になっている。3500億円にのぼる「偶発債務(訴訟や災害などに伴って将来発生するかもしれない費用)」のリストだ。

なぜ交渉の終局、シャープ役員会で契約が最終承認される前日に、この偶発債務リストがホンハイに提出されたのか。経緯は謎につつまれているし、憶測も飛び交っている。だがとにかくホンハイの郭台銘会長は激怒。内容精査と再交渉が始まる。

再交渉の結果、最終的な買収金額は3888億円。直近の2月合意から1000億円、産業革新機構と競り合った時点からだと3000億円ほど目減りしている。さらに以下のように条件が変わった。

・引受価額を一株118円から88円に値切り(市場価格より大幅に安い。これでホンハイの支払い額は減ったが、シャープ株式の66%を取得という結果は変わらない)
・銀行融資枠3000億円を新設
・ホンハイによる銀行からの優先株の買い取りを延期
・既存融資の金利を引き下げ

銀行側の負担を最小限にする条件で銀行団から支持を受け、ホンハイは産業革新機構との競り合いに勝った。革新機構が手を引いて内部チームを解散したとたんに、ホンハイが手の平を返したことになる。

偶発債務の出現という「偶発的な」事態の結果なのかもしれないが、これでホンハイにとっての買収スキームは盤石になった。増資して成長路線に乗せようとする会社にこれだけの銀行支援を引き出すことで、支援額そのものがホンハイの利益になった。

偶発債務は隠していたのであれば信義上の、または法務上の責任が生ずる。だが出資を減額する理由にはならない。債務発生に備えて出資額を積み増したほうがいいぐらいだ。これが株の引受価額を値切る材料に化けることもまた、偶発事象を逆手にとった交渉力のたまものだ。

ビジネスジェットで頻繁に日台間を往復し、ときには笑顔でハグし、ときには激怒してみせる。そこまでして郭台銘会長が得たかったものはなにか。次回へ。

(あもうりんぺい)

だれが会社を思うのか ― シャープへの支援と統治

だれが会社を真剣に思っているのだろうか。その幸せと行く末を。シャープがホンハイ(鴻海)精密工業の傘下入りする方針を固めた。どのような形態にせよ、あらたな門出が近づいているわけで、陰ながら関係者の方々にはエールを送りたい。

とはいえ、申しわけないけれど心は晴れない。「会社は何でできているか」で示した悪い予感が当たりつつあるからだ。

■財務状況から、シャープは「買い」だ

15年3月期の自己資本比率は2%未満に急落しており、黙っていれば債務超過に陥る勢いだ。(後述する資金注入で現在8%程度に回復。)一方で有利子負債の絶対額は1兆円未満と巨額ではなく、この数年間で増えているわけでもない。むしろ13年から15年にかけて漸減しているぐらいだ。

ここで数千億円の資本増強をすれば、財務の指標は一気に明るくなる。バランスシートを見る限り、差し迫って負債を減らす必要はなく、資本増強しても借金払いでロスすることはない。大きな減損や特損の予兆もない。資本増強分は構造改革に充てる部分もあろうが、大部分を成長投資に振り向けることで、再生を果たせる可能性が高い。

それには三つ、要件がある。

ひとつめは、いままでの経営陣と経営手法をすっかり塗り替えることだ。2015年にファンドから優先株によって2000億円の資金を注入したが、業績の急落は止まっていない。現経営陣による事業再建はもう無理という証左だ。筆者にはこの2000億円が、現経営陣の経営能力の最後の(負の)証明、一種の手切れ金と映っている。

ふたつめ、いままで作り溜めた技術のシーズを一気にマネタイズ、現金化することだ。シャープには液晶の「IGZO」を始めとして、どこにもない独自の技術がぎっしり詰まっている。これをセールスできる能力が根本的になかったのを、刷新する必要がある。

三つめは、社会との良好な関係を結び続け、従業員が意欲と使命感をもっって働き続けられるように環境を整えることだ。これはいまに始まった話ではなく、シャープだけの問題でもない。普遍的な課題だからこそ、この変化の節目に考えなおしておかなければならない。

■経営陣温存という麻薬

今回の決定に至る前、産業革新機構とホンハイがシャープ支援策を提案しており、争奪戦といった様相だった。

革新機構:支援額3000億円プラス銀行からの支援引き出し。
ホンハイ:支援額6000億円規模。

この金額の差によってシャープ取締役会と銀行各行がホンハイ提案に惹かれたという筋書きが語られている。銀行としては、そろそろ回収にかかりたい。シャープにリスクマネーを積み増すよりも、、ホンハイからの潤沢な資金で事業再生するのを高みから見物したほうがいいという判断だろう。

ここでもうひとつ、両案には大事な差異がある。

現経営陣につき、革新機構は「退任を求める」、ホンハイは「退任を求めない」ことを支援の条件としている点だ。

■戦犯が裁判官

シャープ取締役会の構成を見てみよう。(一部カウントが不正確かもしれないが、大要は間違いない。)

取締役13人のうち社長・会長を含む8人が社内からの生え抜きで、うち会長を除く7人が執行役員を《現状で》兼務している。一方で5人が社外取締役。そのうち2人がファンド(JIS )からの派遣。

昨今の風潮を受けてバランスを取った結果と主張できるかもしれない。外部大手の経営経験者や弁護士が入って入れば、監視や助言で取締役会としての機能が果たせるだろう。しかしそれは平時の話であり、今回のような事態では別だ。

取締役会の過半数が現役の執行役員で、ここまで業績悪化させた直接の責任を持つ。それが「経営陣の退任を求めない」というホンハイ案のほうを、お手盛りで採択した。会社法では「決議について特別の利害関係を有する取締役は取締役会の決議に参加できない」としているが、今回の案件ではまさか執行役員兼務者を外した決議などしているわけもないだろう。

「現経営陣の温存」、この一点だけ取っても、経営者としての矜持を問うのに十分だ。

■どうなるのか

ホンハイは過酷労働や過剰な利益追求で、とかく風評のある会社だ。(風評だけであってほしいと願っている。従業員のために。)以下のシナリオに従っていくだろう。

ホンハイはシャープの技術を基に製品を生産し、巨利を手にする。その過程では、先述「技術シーズのマネタイズ」はうまくいくだろう。ホンハイは株式取得で資本注入し経営権を得る。バランスシートで見たように、経営再建さえすれば、出資者の損失はなにもない。圧倒的な安値で将来の巨大なキャッシュフローを手に入れた、ということになる。

シャープ本体は、しばらくは現状の体裁を保ち、内部から技術が親会社に移転されていく。そのうちに機をみて、事業ごとに切り刻まれ、一部は台湾や中国に合流し、一部は捨てられる。

「退任させない」とされた現経営陣は、すぐに実権から遠ざかり、やがてはすべて駆逐される。ホンハイのようなドライな経営方針の下で、そもそも現経営陣は通用しないし、ホンハイ側としてもいつまでも養っていく気持ちもないだろう。そうなったら、筆者が指摘した「経営の塗り替え」は皮肉にも実現してしまうことになる。

日本の技術立国が大きくゆらぎ、凋落していく。シャープ案件だけが凋落の原因ではないが、今回案件はシャープだけの問題でもない。技術を育てるだけ育て、それを活用できず、勝手に会社を傾かせる。経営者は無傷で、人と技術だけをタダ同然で売り渡す。これで技術の伝統が維持できるはずはない。

筆者が指摘した業績回復のための三つの要件のうちふたつはホンハイ傘下でも実現していくだろう。問題は最後の要件だ。中長期志向と全体最適、社会厚生。いま見たように、十分な実現はおぼつかない。

筆者はナショナリズムでこれを言うのではない。現経営陣が最後まで保身を図り、人と技術を犠牲にした。これを企業統治の問題として見過ごすわけにはいかないと言っているだけだ。

だれが会社を真剣に思っているのだろうか。その幸せと行く末を。内部の者、外部の者、関係する社会のすべてが思っていると信じたい。

(あもうりんぺい)

会社は何でできているか

■どれがゾンビ企業か

ゾンビ企業はすみやかに退場すべきなのか。退場すべきはだれなのか。いま東芝とシャープが苦境にある。

この二社は、いまでもすばらしい会社だ。ここですばらしいというのは、技術者を始めとする従業員、蓄積された知見、伝統と企業風土、そして社会に根を下ろした関係性のことだ。技術や製品に接したことがある者にとっては自明ではないだろうか。たまたま劣悪な経営者を得たことが不幸だっただけだ。

中・短期的な経営失敗は、組織の構造や風土には致命的な影響を与えていない場合が多い。両社の場合がそうだ。救いようがある。

長期間にわたる経営の迷走が組織に浸透し、マインド自体にダメージを与えてしまった例はまた別にある。いま業績が上向きかけているソニーなどは、その意味でまだ根深い問題をかかえると筆者は見ている。

ゾンビ企業をあらためて定義すると、こうなる。
「外部環境の変化に適応した価値の提供ができず、内部改革で適応しようにも末端まで腐りきっているためにその力もなく、外部の不当な介入や惰性で延命している企業」

経営だけに問題があったという前提だ。完全な立証はできないので、以下、仮定のうえでの話としておこう。

東芝とシャープはゾンビ企業ではない。あえて例え話をすれば、「メドゥーサ企業」とでもいうか。もとは美女だったが、意識(=経営陣)が傲慢になったために、醜い姿に変えられてしまう。最後は頭部を切り落とされることになる。

■メドゥーサ企業、望ましいのは首のすげ替え

産業革新機構が両社の支援に乗り出している。この種の支援の常道は「本体を温存。経営陣は刷新」だが、筆者はこれを順当な策と見る。

支援がなく、会社が生き残らなかったらどうなるか。事業部単位で分断されて売却されるか、解散して一人ずつバラバラになるかだ。社会にとってかけがえのない存在である「人」は、いなくなるわけではないが、組織や伝統は残らない。

日本の労働市場は流動性が低く、倒産企業の社員は大幅なキャリアダウンを強いられる。その現状を動かぬ前提とするなら、ゾンビ退場論に早計にうなずくことはできない。なんの罪もない従業員個人の一生に大きく影を落としてしまうからだ。

(動かぬ前提を変えようという議論は歓迎だが、それは別の話だ。日本の産業界全体が構造的に腐朽化しており、総とっかえを要するところもあるが、いまはそれも別の話だ。)

環境に適応できない存在は、すみやかに退場すべきだと筆者も考える。だがその退場すべき主体は会社本体ではない。会社は社会に根差した高度に社会的な生きものだから、殺して切り刻むより生かすことを考えたほうがみんなのためだ。すげ替えるべきは経営者のほうだ。だがその反省が足りずに無能な経営者が居座ってしまうことがよくある。

シャープや三洋電機をやめた技術者のうち、かなりの人数がアイリスオーヤマに入社した。これは技術者集団のほうを主体に考えると「経営陣のすげ替え」にあたる。

三洋電機の白物家電部門が中国ハイアールに売却されたのも同じだ。会社側から見たら「切り売りして換金した」になるが、内部の人間が見れば「経営の首がすげ替わった」になる。二事例どちらも、経営陣のスムーズな交代をもたらすという意味で好都合な形だ。

■解体、切り売りという損失

資本市場の国際化は好ましいことと筆者は考えている。日本企業による外国企業買収だけではない。海外からの出資による企業支配や不動産取得も増えて初めて、双方向で望ましい国際化になる。

ただし、日本の経済全体が手塩にかけて育んできた基幹技術をやすやすと、不当な安値で売り渡すのがいいかというと、それは違う話だ。

不当な安値というのには理由がある。

本来ポテンシャルの高い企業が、たまたま劣悪な経営によって大きく業績を落とす。資産価値でも株価時価でも将来キャッシュフローでも、あらゆる意味で内容にそぐわない低い価値に「外観上は」見えてしまう。これを買い叩くのはまさにお買い得というものだ。

そんなことをして次々、人を中心とする優良な資産を手放してしまって、国としていいのか。むしろ心ない経営者によって踏み散らかされた企業を手厚く保護し修復することが先ではないか。

ところでさっきハイアールへの三洋白物の売却は好ましいと言ったばかりではないのか。そう、このパターンの売却には正負両面があるということだ。従業員にとっては、よしあし両方だろう。国際社会全体の厚生にとっては、よいことだったかもしれない。国の経済として、手指の間から砂粒が落ちるような損失を続けているというだけの話だ。

会社は《末端の人と知見、伝統と風土、社会との関係性》でできている。日本ではとくにそうだ。(国によっては金主と経営者でできている。)

そのよき存在の息の根を止め、ときには切り刻むという、負の力を持つのが経営者だ。責任はそれぐらい重い。企業というよき存在を殺さず活かす経営者よ、出てきてほしい。

(あもうりんぺい)