マンションと日本が傾く(2)

◇これから民事裁判を開始します。

◆なんだよ大げさな。学園祭の模擬店で赤字出したぐらいで。

◇きっ!! (にらみつけた音)

★わ、わかったよ。それでなに?

◇なぜ市場に行かずに、高いスーパーで食材を買ったの?

★だから面倒で。

◇それだけ?

★…ばれないと思ったから、かな。食材がすこしぐらい高くても利益が出て、ユニフォームだって買える。そうなれば、あとでくどくど追及されないし、やりすごせると思った。

◇ポスターの貼り忘れはどうなの? せっかく印刷したのに?

▲もともとポスター何枚貼ったから何人のお客が来るなんて話はないじゃん。だから黙っていれば、ばれないと思った。

◇自分の都合で値引きした件は?

◆知り合いにいいカッコしたいし。…やっぱり、ばれないと思った。こんなに細かく集計するなんて思っていなかったから。

◇揃いも揃って、ばれないと思ったから、ということよね。なるほど、ふーんふーん。これからはちょっと、考えようねぇ。

◆▲★…(なんか怖い)

3人がどんな処分を受けたかはともかくとして。
ばれないと思うからつい、やってしまったということはないだろうか。上司や同僚が見ていないから。家族が知らないところだから。路上で人目がないから、など。とりわけの悪事でなくても、ちょっとした不道徳な行為ならやってしまう。きっと身におぼえがあるはずだ。

■「ばれない」ことは「大きな機会」

クレッシーの「不正のトライアングル」でいうと、これは「機会」の要因に該当する。「ばれない」というのは、不正の機会要因のうち最大のものだ。ばれるからしない。ばれないからする。これは当たり前のようでいて、根が深い現象だ。

ある状況に直面したとき、人はすばやく以下の要素を秤りにかけて、不正に走るか、とどまるかを決める。
・当面、ばれないだろう
・将来的にも発覚の恐れがない
・たいした悪事ではない

このうち3番目の要素は、クレッシーの三角形では「正当化」の領域に属する。

こういった条件が整っても、なお悪事に踏み出さないのは、人に備わった「倫理観」が歯止めになっているせいだ。(ただ倫理観が「臆病な心」と区別のつかない場合は、かなりややこしい。)

■悪事の雪だるま

悪事が一度だけで済めばいいが、たいていはそうならない。二度三度と手を染めるころから、要因がこんなふうに変化していく。
・「たいした悪事ではない」の感覚がマヒし、善悪基準がどんどん甘くなる
・「いままで発覚しなかった。だから今後も発覚しない」の思いにとらわれる

この状況が転がり出すと、個人の倫理観や臆病ごごろを軽く蹴散らしながら、悪事が勢いをつけて驀進していく。最後に「発覚してつかまる」まで止まることはない。

個人の経理操作による着服流用といった典型的な不正事例だけではない。組織ぐるみの企業不祥事も、おおむねこの段階を踏んでいく。前編で触れた旭化成建材の件だけでなく、東洋ゴム工業の品質偽装についても同様のことが推測される。

■見えないところに光を当てる

ほかのだれにも見えないと、つい悪いことをしてしまう。だからといって、なにもかもガラス張りにしておけばいいのかというと、そういうわけでもない。かえって息がつまってしまうこともある。

たとえば「すごい企画を打ち出して社内のライバルを出し抜いてやろう。完成するまで、この企画書はヒミツヒミツ」といった状況があったとする。同僚との競争の動機や手法がフェアなものである限り、そして企画の本来の目的を間違えない限り、これは好ましい動きだ。未完成の原稿をそっと隠しておく場所は、あったほうがいい。

必要なのは、「なにもかもを白日のもとにさらしておく仕組み」ではなく、「不正が起こりそうな場所に目をつけて、そこに光を当てにいく」という働きだ。「白日にさらす仕組み」なら、作っただけで放っておいても機能することがある。だが「光を当てにいく」のは、いちいち手作りの能動的な作業になる。これを担う活動がひとつあって、それが内部監査だ。

内部監査が光を当てる働きは、不正を直接的に暴くためだけではない。前述、悪事を決心させる要素のひとつである「発覚の恐れがない」という見通しを揺るがせることで、不正行為そのものへの強い抑止効果が働く。

企業不祥事が起きるごとに、「内部統制が整備されていなかった」「内部監査が機能しなかった」と指摘される。法や風潮が求めるままに形だけの整備を行なっていても、いざというとき役に立たないし、あるだけ無駄だ。内部統制・内部監査に本腰を入れて取り組んだほうが組織のためになる。
 
■内部監査は不正対応だけではない

今回は内部監査のコマーシャルであった。
企業による不正不祥事がつぎつぎ明るみに出る状況の中で、不正にフォーカスした論を張ってしまったが、内部監査の一面を照らしたにすぎない。内部監査でできることは不正抑止だけではなく、むしろその比重は軽いぐらいだ。不正以外に、組織内に横たわるもっと大きな不都合を、内部監査は正さなくてはならない。と今回は暗示にとどめ、別稿で論を進めていこう。

冒頭、学園祭の話の「◇」さんは、「ばれないと思った」という3人に対して、今後はどんなことをするのだろうか。同じようなイベントがあるときには、「面倒だからといって不利な調達をしていないか、見返りのあるコストを使っているか、私利のためにリソースを使っていないか」と調べてまわるのだろうか。なんとなく心が締めつけられる。

せめて学生さんのうちは、もうすこしイイカゲンでもいいのではないかと筆者は思う。一方でまた、彼らにとっても「だまっていればバレないところに光を当てにいく」ことの必要性が勉強できたのを良しとするか。思いは乱れる。

(天生 臨平)