のにトーク・ピッカー

友達の童間は、モノづくり系のオタクだ。いつでもどこでも作戦にとりかかれるようにツナギの服を愛用している。その胸ポケットから、名刺入れぐらいの箱を取り出してきた。

「なんだそれ」
「名づけて、《のにトーク・ピッカー》」
「…?」

童間「いいかアモウ。おれは気づいたんだが、世の中には《のにトーク》というものがある」

天生「のにトーク?」

童「職場で、こんな会話を聞いたことがないかな。『この書類の書き方、面倒よね。もっとこんなふうにすればいいのにねえ』とか、『この製品、苦労して官庁に売り込んでるみたいだけど、家庭用にして売ればいいのに。そうよねえ』とか」

天「つまり《のに》で終わる会話か。そういうのはあるな。ランチのときとか、廊下の立ち話とかで」

童「トイレやパウダールームでも。あと密度が高いのは給湯室だ。『OLのウワサ知ってる給湯器』なんて川柳があるぐらい。(調べたけどすみません、詠み人知らず。)
あちこちで展開されている《のにトーク》は、会社にとって改善ネタの膨大なライブラリだったりする。これが人知れず言いっぱなし、聞きっぱなしで給湯室のシンクから流れ落ちてしまうのは、いかにももったいない」

天「なるほど」

童「そこでこのピッカーを作った。まだ試作機だけどね。最初は給湯器として開発しようとした。だが重すぎて、運んでいるうちに腰を痛めた。だから手のひら大のサイズにしたんだ」

天「ああ、小さくして正解だったようだ」

童「さっき言ったいろんな場所に、これをさりげなく貼りつけておく。マイクから拾った音を高速度で解析して、のにトークだけを抽出。その場でWiFiを使ってサーバに収集する。これを設置した会社は、強力な改善ネタ集を手にすることになるぞ」

天「あのなあ童間。そんな盗聴まがいのことをしていいのか。捕まるんじゃないのか。それならもっと、そういった人を集めてインタビューするとか」

童「わかってないな。のにトークは1回限りですぐ忘れる。パウダールームや給湯室といった、オジサンのいないリラックスした場所でないと出てこない。それに盗聴なんていうけど、これは《いいこと》なんだ。声紋で声の主はすぐわかるから、本当に役立つアイディアは表彰すればいい」

天「そんなにいいアイディアなら、会社にちゃんと提案しなさいって言えば」

童「のにトークをする人たちは、正式な提案活動につなげようという気持ちがないんだ。性差別するわけじゃないが、女性の一般職の人に多い。彼女らは能力のわりに低い地位に置かれていて、改善とか提案とか、そういったことを期待されていない」

天「じゃ、期待するようにすれば」

童「もし提案しても、受け取る側の上司に偏見があるから、つぶされるのがオチ。出世もハナからあきらめていて、だから給湯室での《〜のにねえ》で、言いたい気持ちを発散させて、それで終わりなんだよ」

一週間後、「童間が寝込んでいる」というウワサを耳にした。お見舞いにいくと、なんだか魂が抜けたような童間がいた。あの試作機をバイト先の会社でひそかに使ってみたらしい。彼の重い口から出てくる話をつなぎ合わせると、こんなふうになる。

まだアルゴリズムのバグが抜けきれなくて、だいぶノイズが入った。《のにトーク》以外の、かなりの量の内緒話、ウワサやゴシップが収集データに混ざりこんだということだ。それを聞いているうちに、会社の中の上と下、人と人、表と裏の、やりきれないほどの《真実》を知らされて、それが童間のナイーブな感性を直撃していった…。

(あもうりんぺい)

なぜ可視化するのか -業務レビューと記録-

◆それでは、内部監査の結果をお伝えします。業務経緯の可視化と記録に不足感があり、…
▲ちょっと待ったぁ! あんたら、口を開けば可視化、可視化っていうけど、現場の負担を考えているのか? こっちは営業で身体張ってるんだ。いちいち記録してるヒマなんてないっ!

組織によっては、もうすこし言い回しが上品だったり、陰にこもったりする場合もあるが、よく目にする光景ではある。被監査側と監査側とではこの認識に開きがあることが多い。その原因はおおむね「どうしてそうするのか、わかっていない」ということである。恐ろしいことに、監査側でも、なにも考えずに「可視化が必要」という題目だけで走っていることがある。

内部監査で取り扱う可視化には対象が二通りあり、それは「業務プロセスの定義」と「業務経緯の記録」である。今回は後者について考えよう。仕事の過程の随所(開始、中途、終息時点)で、あとあと役立てるために5W1Hを記録すること、という意味だ。

業務記録の可視化を考えるときは、目的を列挙してから優先順をつけてみることだ。記録の多角的な利用や、記録するかしないかの判断に役立つ。まとめると、《業務記録のASKA》になる。

A.取引先等とのトラブル防止 prevention for Argument
S.施策の承継 policy Succession
K.知見の集積 Knowledge pooling
A.説明責任の充足 sufficiency of Accountability

■4つの目的観の内訳

A.取引先等とのトラブル防止 (Argument)
契約書や覚書も、可視化によるトラブル防止策である。だがそれだけでは足りない。契約よりも細かなレベルでの打ち合わせ結果や取り決めにおいて、「言った言わない」「こんなはずじゃなかった」などのトラブルを生まないために記録を残す。

相手のハンコをもらうようなことをしなくてもいい。「何月何日、どこでどんなことがあった」といった日報的な内容でも、客観的な記録というだけで信憑性につながって、ある程度は有効だ。この目的は営業やシステム開発の現場では比較的認識されていて、実践しているところも多いようである。

S.施策の承継 (Succession)
耳慣れない言葉だろう。ここでは施策(大小の意思決定結果)の長所やねらいを明らかにしておくこと。たとえば「顧客提案はドラフトと詳細案の2段階提出を原則とする。なぜなら顧客心理分析と営業実績の両面から有効な策とわかったから」の、《なぜなら》以降を記録・共有すること。

以下の効果がある。

・施策の安易な改悪を阻む
「決めたこと」や「慣行」に実は合理的な意味があるということを忘れてしまうと、安易にそれを捨て、改悪してしまうことになる。それを防ぐ。

・大胆な変革に打って出ることができる
決めごとや慣行の意味が記録されていると、それを捨てる決断ができる。それを超える、もっといい施策を思いついたとき、ためらわず実行できる。

・施策の独り歩きを防ぐ
時と場合を考えず、無批判に慣行に従ってしまわないようにする。

K.知見の集積 (Knowledge)
仕事はスムーズに動いているように見えても、実は属人化していることがある。組織改編等で競争力が目減りしたり、急に手間が増えたりする。そのことを防ぐ。

組織は人だけでなく、知見の蓄積でも成り立っていて、そのどちらのレベルも意図的に上げていく必要がある。業務上で得た知見を丹念に拾って可視化する(形式知化する)ことが、強力な競争優位性につながる。

A.説明責任の充足 (Accountability)
ここでは日本語の《説明責任》を「使命を遂行する過程で、公正かつ合理的な判断のもとに行動したことを明示する責任」という意味で使っている。英語のaccountabilityは、ほぼ同義だ。

資源や権限を預託され、業務を遂行したからには、結果が成功であれ失敗であれ「ちゃんとやった」ということを主張できなければならない。部門としても担当者としても。

■ほんとうに記録しているヒマはないのか

管理部門にやれと言われたから。監査部門がしつこく突いてくるから。そんな程度の目的観では業務記録のモチベーションにつながるはずもない。

だが上に見た目的観を裏返し、危機感として認識したら話は別だ。
A.取引先とトラブっても手も足も出ない。
S.方針を変えるごとに愚策に傾いていく。
K.ノウハウがたまらない。
A.ちゃんとやっていても有無を言わせず結果責任を問われてしまう。
といった具合に。

問題はそのやり方だ。四角四面な書式を作らなくてもいいし、データベース構築なんてしなくてもいい。営業や製造の基幹的な文書(提案書や製造指示書、エラー報告など)を保管するとき、可視化記録の目的観を意識しておく。日常発生する報告メモ、指示メールなどもその視点から保存しておく。それだけでほぼ十分な5W1Hになる。

監査部門「業務経緯可視化の目的なんですけどね」
現業部門「ああ、これこれだよな」
監「記録、取ってますか」
現「取ってるよ」
一度でいいから、こういう会話をしてみたい。

(あもうりんぺい)

保守性10倍の法則

一見同じような企画案が2本ある。ふたつの会社で、企画案はそれぞれどのような運命をたどるのだろうか。

■江井社、経営会議

プレゼン後の質疑。企画自体の評価よりも、細かな点の質問が多い。ひととおり進んだころに、ある役員が口を開いた。「業界にあまり先例がない売り方だ。売上予測は確かなのか。思ったように売れなかった、というリスクがあるんじゃないか」

企画部長が弁明に立った。「テストマーケティングは実施しました。このように」と資料を示しながら。だが「そんなものが当てになるのか」と一蹴されてしまった。

「リスクがある」といった意見には、どの役員もはっきり反論しないし、賛成もしない。最後に議長である社長が締めくくった。「この案件は時期尚早ということでよろしいでしょうか。リスクもあるようですし。では企画部には引き続きの検討をお願いします」

テスト販売までしてから、「売れないかもしれない」と言われても反証のしようがない。一度こんな理由で差し戻された件は、いくらがんばって対策しても「リスクはリスク」となって、浮かび上がれない。

■備意社、経営会議

営業担当役員
「なんだよ、販売チャネルの設定が粗削りだな。C社とD社のスジはどうした。よし、おれがさりげなく当たってきてやろう。なに大丈夫、新製品のマル秘情報は言わないから」

財務担当役員
「事前に議案をチェックしました。収益の現在価値換算が甘くて、すこし削らないといけません。しかし借入金を増やすことで金利分を節税できます。総合すると利益プラスに修正できますよ。こんどから経営会議前でもいいから財務部に相談してください」

製造部門担当役員
「企画部からこの案をもらったとき、いい話だと思ったよ。だから早急にすりあわせをやり、完成度5割というところでこの会議にかけたんだ。それ以上たたいても、スピード感がなくなってしまうからな」

社長
「リスクとリターンを秤にかけてみました。リスクの内訳が大切だが、失敗しても社会に迷惑をかけるリスクがありませんね。お客さまに喜んでもらえる見込みはもちろんあります。利益については不確定なところもあるが、それは当たり前。これはとりあえずGOです」

■組織の空気が決める

江井社のような組織では、会議出席者のうち一人が懸念を示すと自動的に廃案になる。企画の良し悪しよりも、出席者同士の対立を避けることが大切なようだ。論理的な反論でなく、「リスクがあるねえ」といったあいまいな意見でも、最後には通ってしまう。

だれかが否定的な意見を出すと否決される。出席者が10人いるとすると、一人の判断にくらべて、否決の可能性は一気に10倍になる。新しいことに踏み出さないという保守性が10倍。これが江井社の会議が持つメカニズムだ。

備意社では、出席者がそれぞれプロフェッショナルな視点で、寄ってたかって原案をふくらませているようだ。最後にはリスクを取る決断がある。原案の何倍かリッチになった企画が、迅速にすべり出すことになる。

江井社と備意社。読者の組織はどちらに近いだろうか。

(あもうりんぺい)

そうだったのか内部統制

■4Kから4Aへ

まさかとは思うけれど、一部でこんな認識があるかもしれません。

内部統制・内部監査は
暗い
硬い
厳しい
こだわる

内部統制・内部監査は4つのAを目指しています。
明るい
温かい
安心
アシスト

■4つのAとは

★明るい
組織の「あるべき姿」はなにか、どうしたらそうなっていけるのか。
組織のみんなと、オープンに議論しながら同じ方向を目指します。

★温かい
内部統制は人を大事にします。
統制が一部できていないからといって、人のせいにしたり責めたりはしません。
憎いのは仕組みの不備であって、人ではありません。

★安心
「統制がここまではできている」と保証することで、安心して経営ができる(経営者)
「ここまでは、やっていい。ここからはNG」と線引きを明確にすることで、安心して仕事ができる(ワーカー)

★アシスト
内部統制は3段階のアシストを用意します。
1.正直者が得をするよう、働く環境の整備を支援
2.線引きの明確化で、営業や生産活動を支援
3.中長期を見据えて、組織の成長を支援

マンションと日本が傾く(2)

◇これから民事裁判を開始します。

◆なんだよ大げさな。学園祭の模擬店で赤字出したぐらいで。

◇きっ!! (にらみつけた音)

★わ、わかったよ。それでなに?

◇なぜ市場に行かずに、高いスーパーで食材を買ったの?

★だから面倒で。

◇それだけ?

★…ばれないと思ったから、かな。食材がすこしぐらい高くても利益が出て、ユニフォームだって買える。そうなれば、あとでくどくど追及されないし、やりすごせると思った。

◇ポスターの貼り忘れはどうなの? せっかく印刷したのに?

▲もともとポスター何枚貼ったから何人のお客が来るなんて話はないじゃん。だから黙っていれば、ばれないと思った。

◇自分の都合で値引きした件は?

◆知り合いにいいカッコしたいし。…やっぱり、ばれないと思った。こんなに細かく集計するなんて思っていなかったから。

◇揃いも揃って、ばれないと思ったから、ということよね。なるほど、ふーんふーん。これからはちょっと、考えようねぇ。

◆▲★…(なんか怖い)

3人がどんな処分を受けたかはともかくとして。
ばれないと思うからつい、やってしまったということはないだろうか。上司や同僚が見ていないから。家族が知らないところだから。路上で人目がないから、など。とりわけの悪事でなくても、ちょっとした不道徳な行為ならやってしまう。きっと身におぼえがあるはずだ。

■「ばれない」ことは「大きな機会」

クレッシーの「不正のトライアングル」でいうと、これは「機会」の要因に該当する。「ばれない」というのは、不正の機会要因のうち最大のものだ。ばれるからしない。ばれないからする。これは当たり前のようでいて、根が深い現象だ。

ある状況に直面したとき、人はすばやく以下の要素を秤りにかけて、不正に走るか、とどまるかを決める。
・当面、ばれないだろう
・将来的にも発覚の恐れがない
・たいした悪事ではない

このうち3番目の要素は、クレッシーの三角形では「正当化」の領域に属する。

こういった条件が整っても、なお悪事に踏み出さないのは、人に備わった「倫理観」が歯止めになっているせいだ。(ただ倫理観が「臆病な心」と区別のつかない場合は、かなりややこしい。)

■悪事の雪だるま

悪事が一度だけで済めばいいが、たいていはそうならない。二度三度と手を染めるころから、要因がこんなふうに変化していく。
・「たいした悪事ではない」の感覚がマヒし、善悪基準がどんどん甘くなる
・「いままで発覚しなかった。だから今後も発覚しない」の思いにとらわれる

この状況が転がり出すと、個人の倫理観や臆病ごごろを軽く蹴散らしながら、悪事が勢いをつけて驀進していく。最後に「発覚してつかまる」まで止まることはない。

個人の経理操作による着服流用といった典型的な不正事例だけではない。組織ぐるみの企業不祥事も、おおむねこの段階を踏んでいく。前編で触れた旭化成建材の件だけでなく、東洋ゴム工業の品質偽装についても同様のことが推測される。

■見えないところに光を当てる

ほかのだれにも見えないと、つい悪いことをしてしまう。だからといって、なにもかもガラス張りにしておけばいいのかというと、そういうわけでもない。かえって息がつまってしまうこともある。

たとえば「すごい企画を打ち出して社内のライバルを出し抜いてやろう。完成するまで、この企画書はヒミツヒミツ」といった状況があったとする。同僚との競争の動機や手法がフェアなものである限り、そして企画の本来の目的を間違えない限り、これは好ましい動きだ。未完成の原稿をそっと隠しておく場所は、あったほうがいい。

必要なのは、「なにもかもを白日のもとにさらしておく仕組み」ではなく、「不正が起こりそうな場所に目をつけて、そこに光を当てにいく」という働きだ。「白日にさらす仕組み」なら、作っただけで放っておいても機能することがある。だが「光を当てにいく」のは、いちいち手作りの能動的な作業になる。これを担う活動がひとつあって、それが内部監査だ。

内部監査が光を当てる働きは、不正を直接的に暴くためだけではない。前述、悪事を決心させる要素のひとつである「発覚の恐れがない」という見通しを揺るがせることで、不正行為そのものへの強い抑止効果が働く。

企業不祥事が起きるごとに、「内部統制が整備されていなかった」「内部監査が機能しなかった」と指摘される。法や風潮が求めるままに形だけの整備を行なっていても、いざというとき役に立たないし、あるだけ無駄だ。内部統制・内部監査に本腰を入れて取り組んだほうが組織のためになる。
 
■内部監査は不正対応だけではない

今回は内部監査のコマーシャルであった。
企業による不正不祥事がつぎつぎ明るみに出る状況の中で、不正にフォーカスした論を張ってしまったが、内部監査の一面を照らしたにすぎない。内部監査でできることは不正抑止だけではなく、むしろその比重は軽いぐらいだ。不正以外に、組織内に横たわるもっと大きな不都合を、内部監査は正さなくてはならない。と今回は暗示にとどめ、別稿で論を進めていこう。

冒頭、学園祭の話の「◇」さんは、「ばれないと思った」という3人に対して、今後はどんなことをするのだろうか。同じようなイベントがあるときには、「面倒だからといって不利な調達をしていないか、見返りのあるコストを使っているか、私利のためにリソースを使っていないか」と調べてまわるのだろうか。なんとなく心が締めつけられる。

せめて学生さんのうちは、もうすこしイイカゲンでもいいのではないかと筆者は思う。一方でまた、彼らにとっても「だまっていればバレないところに光を当てにいく」ことの必要性が勉強できたのを良しとするか。思いは乱れる。

(天生 臨平)

マンションと日本が傾く(1)

◇赤字よ赤字! こないだの学園祭の模擬店!

◆え、どうして!?

◇ちゃんと利益が出ていると思って集計したら、みごとに真っ赤だったのよ。
食材の仕入れはどうしたの?予算とずいぶん違うけど。

★おれ北部市場に行くのが面倒なんで、つい近くのスーパーで。…でもすこし高いだけだから、いいかなと。

◇客数も伸びていなかったわね。

▲ちょっとポスター貼り忘れて…。すこしだからいいかなと。

◇それ以上に、売上壊滅だったわ。

◆知り合いがいたんで、内緒で値引きしたんだけど。おれけっこう知り合い多くて。…でも金額すこしだからいいかなと。

◇どうすんのよもう! これじゃユニフォームもボールも買えなくなっちゃうじゃないの。だれが責任とるのよ!

◆▲★やっぱりマネージャかな。

◇なにいってんの!!

これはフィクションである。しかし実社会でも同じようなことが起こっている懸念がある。それは旭化成建材による杭打ちデータ偽装−手抜き工事−事件だ。

一部の杭が地盤の支持層まで届いていない。それがわかっているのに放置する。この種の手抜きは、旭化成建材だけでなく業界全体の慣習。そんな発言が関係者から出始めている。

「この程度なら大丈夫。経験的になんとかなる」という認識が悪慣習を生んでいるようだ。しかし地盤調査から設計、施工に至るそれぞれの担当が、いっせいに「すこしだから大丈夫」という態度をとり始めたら、どうだろう。

■悪条件に立ち向かう、マージンというもの

設計の強度計算では、想定されるあらゆる状況を考慮して数値を決めていく。使用材料の強度のばらつき、施工の品質のばらつき、強い地震など。常に安全サイドに立った計算する。

そうして数値を決め終わったら、最終的に余裕を見込んで「安全係数」をかける。この部材の強度は100でいいと計算で出た。そこでさらなる想定外事態への対応のため、安全係数1.2をかけて最終仕様を120にしておこう、といった具合いだ。

さきほど算出した100という数値自体が安全サイドのものであり、現実の負荷は70程度かもしれない。この70と、仕様値120との差を、余裕度、「マージン」と呼ぶ。

マージンが確保されていれば、多少の悪条件でも、めったな事故は起きないはずだ。だが基礎を形作る杭打ちが「設計では余裕をもっているはずだから大丈夫」と思う。その上に立つ建築担当が「杭の強度は余裕があるはずだから大丈夫」と思う。このようにみんなで頼りあっていたら…。
冒頭の学園祭の話のように、つぎつぎとマージンを食いつぶして大赤字。いや商業なら帳簿の赤で済んだものを、施工の現場ではマージンの赤すなわち大事故だ。

■設計が精密になっているだけに

横浜市都筑区のマンション傾き事故の原因が、杭打ち以外のほかの部分の手抜きにもあると言っているわけではない。そんな証言も証拠もない。ただここで大切なのが、厳しいコスト削減要求に対応して、設計自体がスリムになってきていることだ。

基準になる数値や設計式を精密化して「無駄な」コストを省こうとする。現実に要求される強度に対して、「過不足のない」余裕度を持つような設計になっている。いきおい、以前よりも、強度に関する総合的なマージンは減ることになる。施工現場の経験則がこれに追いつかず、「この程度なら手抜きしても大丈夫」で通してきた結果がこれだ、と想像できる。

■マージンを食いつぶすとき

こういった現象が旭化成建材だけのものなのか、杭打ち業界のものか。土木建築全体に根を張っているのか。それとも日本国あたりを視野に入れなければならないのか。

産業的に成熟した国家は、伝統の蓄積(過去資産)を強みとするようになる。技術やマネジメントノウハウ。それに現場の創意工夫や職場規律といった組織風土の面まで含めての話だ。

それが揺らいでいる。日本があれほど得意にしていた現場改善運動でも、《「今や中国、タイ以下」とも、日本の現場は強くない(日経ビジネス)》といった報告もある。(相手方の国にはずいぶん失礼な言い方だが。)

高度成長から安定成長に至る50〜80年代を支えた人々が、ほぼ代替わりした。技術も産業形態も世代を塗り替えている。この中で、わが国企業の収益力、国際競争力、生産性は悪化の一途をたどってきた。

たとえば現状で70の力しかないとしよう。過去の蓄積があれば、それをマージンとして120の強さを持つことができ、すこしぐらいの悪条件にも立ち向かえる。実力が60、50と下がっていき、それを補うマージンとしての過去の蓄積も底をついてくると、いよいよ悲劇が待っている。

過去の蓄積は、いつも作り続けなければならないものだ。そこへ組織が保守化して新しいものを産み出さなくなる。蓄積分が陳腐化して使えなくなる速度より、産み出す速度が下回ると、収支マイナスになった資産は急速にやせ細っていく。

過去資産というマージンを食いつぶした国家は、地盤の流動に足を取られて傾くだけだ。欠陥杭打ち問題は、組織に「産み出す力」が復活しない限り、続発するだろう。

(天生 臨平)

ソーシャルビジネスがなくなる日

※ソーシャルビジネス:社会問題の解決を目的として収益事業に取り組む事業体のこと(Wikipedia)

ソーシャルビジネスなんて、そのうちになくなる。

なぜなら、すべての企業がソーシャルビジネスになるからだ。全部がそうなれば、ラベルづけに意味がなくなる。ソーシャルという言葉がビジネスから消えることになる。

そんなことになってしまうという根拠はあるのだろうか。

新しい価値観に裏打ちされた、新しい生活と産業の枠組みが胎動しているというのがその根拠だ。以下のように。

■あちこちで胎動がある
・消費者の選択は、社会的意識の高い企業に高得点を与えている。同じようなものなら、社会貢献のイメージがついた企業の製品を選ぶ。

・就職活動においても、環境優良企業など社会的に好ましい活動をする企業に良質の人材が集まる傾向がある。

・「食の安全」を中心に、消費意識が変わり始めている。健康をむしばむ食品添加物などに敏感になった。すこしでも販売を伸ばし、コストを下げるために、消費者の健康を代償にしているように見える。一部の消費者が走りすぎて白を黒と断定してしまうところもあるが、それも含めて企業側では無視できなくなり、対応に躍起だ。消費者側では、「そうまでして儲けなくてはいけないの?」といった、企業活動の基本的枠組みへの不信感が芽生えつつある。

・ソーシャルインベストメント(*)という言葉を持ち出すまでもなく、社会や環境に配慮する企業に投資が集中してきている。これは単に企業イメージや投資家の自己満足の問題ではない。社会的意識の高い企業は、消費者も集めるし良質な人材も集める。中長期にわたって安定した成長が見込めるというのがこの背景だ。
(*)ソーシャルインベストメント:株主が積極的に発言し、企業の社会貢献活動を活発化させること。またそのための投資。ソーシャルファンディング(≒クラウドファンディング)とは別概念。

・リーマンショック以来、強欲資本主義が批判され、ピケティ『21世紀の資本』が上梓されるにおよび、ビジネスの世界に反省機運がある。明確な代替案が出ているわけではないが、いまの資本主義の枠組みは万全でも安泰でもない。小幅か大幅かはともかく、修正が入る可能性がある。それに備えておかなければ、といった認識だ。

・ボランティアに関する意識が変わった。大規模な災害が起きるたびに、若者を中心に多くのボランティア志願者が活動を始める。以前からそのようなことはあったが、気風として広がっている。かれらの一部で、スキルが拙かったり意識が熟していなかったりして足手まといになったといったこともあるようだが、それは別の話だ。ボランティアの組織のしかたもやがて洗練されていくだろう。問題は、社会貢献への直接的な意欲が、はっきり行動化していることだ。

■ばらばらだったものが重なり合う
冒頭にあげたソーシャルビジネスの定義には「社会問題の解決」と「収益」が混在しており、その両立が要件になっている。これは「働く意義」そのものではないか。ソーシャルじゃないビジネスを想定すること自体が矛盾をはらんでしまう。間違えたくないのは、収益最優先の活動を「倫理」や「(旧来の意味での)社会貢献」でメッキしたものが目指す姿ではないということだ。

企業の成り立ちは元来、ソーシャルビジネスだったはずだ。明るさと安全と便利のために人は電力会社を作った。豊かさと安全と便利のために自動車会社を作った。それらに素材を提供するために鉄鋼会社も立ち上がった。すべては人と社会のためだった。

ソーシャルビジネスとボランティアは、とりあえずは違うものだ。だが基本になる考え方は似ている。さてそれら両方が「自分には関係ないものだ」と思っていなかったか。そんなものは、もの好きがすることだ。年端のいかない者の気の迷いだ。頭をつっこむ余裕なんてない。責任ある者はそんなことに付き合ってはいられない。いや結構なことなのでおおいにやってください、でも私は知らない。などなど。

どっこい、それは違うのだ。社会貢献と収益と、仕事として取り組むべき課題とが、別々だったのが重なり合うことで本来の姿を取り戻す。そんな変化がすこしずつ起こってくる。

「ソーシャルビジネスがなくなる日」に対して、気持ちの備えはあるだろうか。

(天生 臨平)

無表情ですれちがう組織

ある組織を訪問して、断続的に半年ほど通っていたときの話だ。
廊下を歩いていると、とても気になることがあった。

■挨拶がない!

仮にA社としておこう。
上司部下らしき間だと、部下のほうが一礼または「おはようございます」と声をかけ、上司は無反応。同格の間だと、もっと気さくに声をかけあう。これはどこの組織でも見られることであり、A社でもそうだった。

問題はあまり知らない同士の間だ。大きな組織なので、廊下で会う人は知らないことのほうが多いはずだ。それでも、すれちがうときなどは普通なら軽く会釈するものだろう。

筆者が言うのは、すこし表情をゆるめて相手の目を見る、またはわずかにうなずく。そんな程度の会釈のことだ。だがそれがない。知らない社員同士なら「おつかれさまです!」という会社もあるのに。

■会釈してもなにも返ってこない

「来館者証」を胸につけていたからだろうか。でもそれなら、外来者には会釈どころか「こんにちは」という会社もあるのだ。さらに、すこし迷ったそぶりがあれば「ご用件はうけたまわっていますでしょうか」という声がけをしてもいい。これは不審者を見分けるためのセキュリティ対策でもある。

社員同士はどうするかと観察しても、おたがい無表情、というか非常に硬い表情ですれちがうばかりだ。まるで新宿の人ごみを歩いているみたいに。

■疑問だったので、A社の人たちに聞いてみた。

「廊下や、エレベータでのことなんですけどねえ…」
ずいぶん不しつけな質問をしたものだが、飲み会でリラックスしていた。

「会釈がない? うーん、そうですか」
意識していなかった様子だ。
「まあべつに社内で挨拶しても、売上が上がるわけでもないしね」
(そうだったか。筆者は「社内で挨拶すれば売上が上がる」と思うのだが。)

■呑み物が体内をかけめぐってきたころあいに

こんな発言が出てきた。
「それはあれだな、相手がだれだかわからない」
「そりゃそうでしょう。知らない同士でどうするかの話なんだから」
「いや、相手がだれだかわからないから、挨拶のしようがない」
「はあ?」
「役員の顔はだいたい知っているけど、知らない人もいる。ぞんざいに挨拶なんかできない。出入り業者や平社員のこともある。あんまりていねいにするとバカを見る」
「だから、挨拶できない?」
「そう。あんまり考えてもみなかったけど、きっとそんな感じだな」

■「なるほどねえ。そんな感じだよなあ」

と賛同する人も出てきたりして、これはA社を支配する空気のようなものらしかった。知らない役員もいるし、出入り業者もいるなら、だれにでもていねいに挨拶しておけばよさそうなものだ。だがそういう発想ではないらしい。

筆者は納得していなかった。それからもずっと、当たり前のように「すれちがいの会釈」を続けていた。そのせいかどうかは知らないが、A社に通った半年間の終わりのころには、すこしずつ「すれちがいの会釈をする、会釈を返す」人が出てきていた。

あれからすこし時間がたっている。A社の顧客対応や業績では、あまりいい噂はなかった。これからどうなるか気になっているところだ。

(天生臨平)

とある商店のブランド戦略

「都亜留商店って、ほんとに親切よね」
「おやじさんだけじゃなくて、全員が親切なのよ」
「親切、ってことばを聞くと、まずあのお店がぱっと浮かんでくるの」

時は流れる〜

「ここんとこ都亜留、都亜留って、うるさいわね」
「駅前にでっかい看板なんか立てちゃって」
「この町を代表するブランド、なんて書いてあるよ」

「でも都亜留商店って、親切じゃなくなっちゃった」
「先代が引退してから、しばらくは良かったのよ」
「人が入れ替わってくると、だんだん親切じゃなくなって…」
「いまではぜんぜん」

「親切だから、みんなひいきにしていたのに」
「親切がブランドだったのに、いまじゃ空っぽ」
「品物もよくないし、値段も上がっているし」
「つまらないから足が向かなくなっちゃったわ」

都亜留商店のような例はよく目にする。

なにがよかったのか、いけなかったのか。店の人たちに聞いてみよう。
まずは他界した先代を、冥界から引っ張ってくる。

「客がさ、喜んでくれる顔がなによりだった。
だからすこしでもいいものを、安くして勧めたもんだ。
おかげでみんなよく店に来てくれて、こっちもうれしいや。
なにブランド? 知らねえよ、なにそれカタカナ? わかる言葉で言ってくんねえ」

当代の店主。

「先代が作ってくれたブランドがなにより財産ですから、しっかり守ってまいりませんとね。
類似の商号やロゴなどには厳しく当たっております。専任の担当がいるぐらいでございますから。
顧客対応? はいそれはもう、お客さま本位でやらせていただいております。もちろんでございますよええ」

(天生 臨平)